あんそら的「文学で旅する韓国-大邱編」①

Pocket
このエントリーをはてなブックマークに追加


2018年の済州島に続いて参加した2019年のクオン主催「文学で旅する韓国」の訪問地は大邱。
韓国東南部に位置する第3の都市として知られています。私にとって大邱は、ここ数年ガイドブックの取材で歩き回った地域であり、ある意味、住んでいるかのごとく慣れ親しんだ「我が町」のようなところでもあります。けれども、自分の住んでいる町にも意外と知らないことがあるように、視点を変えて見てみると、今まで気がつかなかったこと、もの、場所がたくさんありました。
まだまだ韓国文学には詳しいとは言えませんが、昨年に続いて今年の文旅でも多くのことを学び、また新たな大邱を知る貴重な旅となりました。

 

~大邱と文学の歴史を訪ねる 大邱文学館・香村文化館~

大邱大学のヤン・ジノ教授の案内・解説で訪ねた大邱文学館・香村文化館。ここは1912年に建てられた大邱初の普通銀行「鮮南銀行」の建物です。1・2階に1950年代の香村洞を再現した「香村文化館」、3・4階に大邱の文学史を伝える「大邱文学館」、そして地下には韓国初の音楽鑑賞室「緑香」を移転開館し、文化空間として生まれ変わりました。

 

 
香村洞は大邱邑城が壊された後にできた町。1905年の京釜線開通とともに、大邱駅の南西に位置する香村洞は産業や物流の中心地として栄えてきました。1階には、かつての香村洞の街並みを再現し、当時の生活用具などを展示しています。

 

 
韓国戦争当時、多くの文人や芸術家たちが大邱に避難してきて、香村洞を拠点に活動していました。2階には当時を代表する詩人や小説家、画家たちの写真や、彼らが集っていた喫茶店や居酒屋、当時の映画館などを再現した展示があります。

 

10年近くにソウルで展示会を見て、とても印象に残った画家のイ・ジュンソプもその中の一人。作品とともに、日本に帰った妻と息子たちに送った日本語で書かれたたくさんの手紙を涙しながら見たことを思い出します。その時の私はイ・ジュンソプが大邱にゆかりがあることを知らず、のちに大邱に通いつめるようになってその名を耳にし、大邱で「再会」したのでした(笑)

1955年2月、親友である詩人・具常(クサン)の招きで大邱に来たイ・ジュンソプは、3回目にして最後となる個展を大邱で開きました。8月まで大邱で暮らし、大邱を描いた唯一の作品「東村遊園地」を残しています。残念ながら、翌1956年、病気によりこの世を去ってしまいます。
 
3・4階を貫く、大邱文学館を象徴するモニュメント「大邱、名作の故郷」。竹筍の形をしているのは、大地を破ってまっすぐに伸びていく力を表わしているそうです。そして竹の新芽が節を作りながら空に向かって大きく伸びる様が「いつも新しい始まり」を意味しているとのこと。解放直後に大邱で発行された同人誌の名前も『竹筍』であり、当時の貴重な冊子が展示されています。

 

 
(李相和古宅と庭にある「奪われた野原にも春は来るのか」の詩碑)

大邱文学館では1920年代から1960年代までの大邱近代文学の歴史に触れることができます。3階の「名誉の殿堂」には、民族抵抗詩人と呼ばれた李相和をはじめとする韓国文学史を代表する3名の作家について詳しく展示しています。この後訪ねた李相和古宅には、代表作「奪われた野原にも春は来るのか」と「逆天」の詩碑がありました。

 

 
今回は1階から順に見学しましたが、次に機会があれば、地下の「緑香」にもぜひ。1946年、香村洞に開かれた韓国初の音楽鑑賞室で、大邱に避難してきた芸術家たちの憩いの場所であり、多くの作品が生まれた場所でもありました。ソファに身を包んでクラシック音楽に耳を傾けながら、当時に思いを馳せてみてくださいね。

 

⇒ ② ~大邱文学の足跡をたどる 北城路エリアから~に続く