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付朝日新聞夕刊 2015年04月07日 16時30分
詩人の谷川俊太郎さん(83)と韓国の詩人、申庚林(シンギョンニム)さん(80)の共著「酔うために飲むのではないから マッコリはゆっくり味わう」(クオン)が出版された。2人が、一緒に作った詩も掲載されている。隣国の詩人との共同作業で何を感じたか。谷川さんに聞いた。
2人の出会いは3年前。申さんの詩集が日本で翻訳出版された際、谷川さんが帯に言葉を寄せたのが始まりだ。2人は年が近く、抽象的ではなく、生活に根ざした詩を書く点も共通している。本に収めた2回の対談では、老いや、社会の中での詩人の役割について語り合った。
交互に詩を書き、一つの詩を仕上げる「対詩」にも挑戦した。谷川さんが5行書き、続いて申さんが5行、そんな「詩の往復」を12回繰り返し、120行の詩を書き上げた。昨年1月から6月にかけて、翻訳者の吉川凪(なぎ)さんが間に入り、メールでやりとりした。
そのさなか、詩の流れを変える大きな出来事があった。4月のセウォル号沈没事故だ。申さんからの詩は、「南の海から悲痛な知らせ」と始まる、悲しみをにじませたものだった。谷川さんは続く詩の中で「詩の余地がない」と書いた。 「東日本大震災の時に、ことばを失ったという人がたくさんいました。言語を絶するような何事かが起こった時に、言語は無力だ」
それでも対詩を続けた。最後は朗らかな子どもたちの描写で締めくくられた。
本の題は、対詩の中の谷川さんのフレーズからとった。とりわけ「酔う」という言葉から、谷川さんは子ども時代の第2次大戦の経験を連想する。「戦争中の、いろいろなモットーや標語に日本人が酔い、戦争反対という理性を捨てていった」。戦意高揚の詩を読む朗読会もあった。「言語が人を酔わせることに、すごく警戒心がある。同時に、言語のそういう側面を使って人を酔わせるのが詩だから、両義的です」
東アジアでは国家間の関係が冷えたままだ。巻頭言に「政治家の言葉とは次元の違う詩の言葉で、交歓出来ることを私はうれしく思っています」と書いた。
「詩人だって普通の人間だから国家に縛られてはいる。ただ、ヘイトスピーチなどには、僕は絶対いかない。詩は、敵と味方みたいな割り切り方は絶対できません」
混沌(こんとん)とする世界と、無力な言葉。詩はいったい何ができるのだろうか。
「ウイルスみたいなものです。本当に小さい微力なものだけど、1個か2個で病気を引き起こしたりする。詩はいいウイルス。そういう微少な力を信じているところがありますね」
一方、申さんは巻末にこうつづった。「国も言葉も違うのだから考えや情緒が同じはずはありませんが、もっと重要なのは、この地球上で同じ時代に足を踏みしめて生きる人間であるということです」
税込み1620円。「日韓同時代人の対話シリーズ」として今後も刊行を続ける。(高重治香)
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東アジアの文化交流の話題を随時掲載し、「隣人」との未来を開く手がかりを探ります。
■谷川俊太郎さんと申庚林さんの「対詩」の一部
ニューズでは
国と国が血を流しているが
天気予報では
気まぐれな雲が
はにかむ地球にヴェールをかぶせている(谷川さん)
休戦ラインは春でも夜風が冷たいけれど
咲き始めた野の花たちは
互いに戯れつつ
両側から われ先に
鉄条網を這(は)い上がる(申さん)
2015年4月7日15時04分
詩人の谷川俊太郎さんが、韓国の詩人、申庚林(シンギョンニム)さんとの共著「酔うために飲むのではないから マッコリはゆっくり味わう」を出版した。言葉や国、詩について、谷川さんに聞いた。
――申庚林さんはどんな印象の詩人ですか?
「言語も、生まれ育った土地も、子どもの頃からの体験も、違う。でも年齢は、僕とほぼ同じ。抽象的な現代詩でなくて、『民衆詩』派と呼ばれるくらい、普通の人の生活に根ざした詩を書くところに共感しました。人柄がすごくよくて、会っていて楽しい人でした」
――2012年に申さんの著書「ラクダに乗って」が日本で翻訳出版された時、帯に「この隣国の詩人は、まるで隣家の主人のように語りかけてくる。母語の違いを超える魂の深みから生まれた言葉で」という言葉を寄せました。「魂」とは、どういうことでしょうか。
「『詩魂』という言葉があります。詩の魂、詩人の魂。政治家の魂とも、お金持ちの魂とも違う。僕は詩人とは、なんとなく電柱のあたりにいる人種だと思っています。天使にはなれず、天の上には上れないが、地上からちょっと離れた上の方から地上を見ています。それが長所でもあり、欠点でもある。普通の生活で感じる喜怒哀楽から離れた心の動きを追究しているものが、詩を成り立たせている。『感情』に対して、『感動』と呼んでもいい。その魂を、言語化しているのが詩。言語が違っていても、魂は感じられます」
――申さんと、一つの詩を交互に書いて紡いでいく「対詩」を試みました。韓国の方とは初めての対詩でした。
「詩人同士でつきあうんだったら、お互い詩を書き合うのが近道です。対詩や、複数人で書く『連詩』は、連句から派生したもので、あいさつの意味も含まれています。詩を書いていても、おつきあいのようなところがあるから、愛想良くする時も批評する時もあり、それがおもしろい。特に発句と次の句は、あいさつの交換なのだと、大岡信さんに教わりました。 僕は発句で、父が残した『李朝(朝鮮王期)の壺(つぼ)』の話から入りました。犬が2匹会うとにおいかぎあうように、できるだけ和やかにいきたいなあということを最初に出しました」
――使う言語が違っても、一つの詩を作り上げることができるんですね。
「心理学に、『集合的無意識』という用語があります。意識のレベルではそれぞれの言語をしゃべっているんだけど、意識下の部分は言語以前のものがいっぱいある。それぞれの人が、それぞれの文化圏で、それぞれの経験をしているけれど、どこかホモサピエンス、種としての共通のものがあります。言語をしゃべるというだけで共通です。違う国に生まれたら、違う言語が母語になる。そういう、言語を機能させるものをDNAとして持っているというだけでも、他の種とは違います」
――半年間の対詩の途中で「セウォル号」の沈没事故がありました。
「事故が起き、申さんの詩に切迫した感じがでてきました。対詩は『場』というのが結構大事で、即興性があった方がいい。大きな事故があった時に、無視して書くこともできるが、入れた方が生き生きすると思ったから、避けることは考えませんでした」
――セウォル号事故をふまえ、谷川さんは対詩の中で、「詩の余地がない」と書きました。
「東日本大震災の時に『ことばを失った』と書いた人がたくさんいました。言語を絶するような何事が起こった時に、言語は無力だと思う。セウォル号の事故についても、詩はそういうところで何が言えるんだろう、何の役ににもたたないでしょう、という感じでした」
――それでも書き続けたんですね。
「乗りかかった舟だから、やるわけです。申さんが、言葉が出ないからやめようといったら、やめていましたね」
――対詩の中に、「ニューズでは/国と国が血を流している」、「テレビから流れてくるコーラン」といった言葉が出てきます。この表現は、具体的な何かをさしているのでしょうか。
「具体的にどこの紛争ということはありません」
――本の巻頭に、「国家と国家がぎくしゃくしていても、詩人と詩人はそこに身を置きながらも、そこから離れたくつろいだ空間で、政治家の言葉とは次元の違う詩の言葉で、交歓できることを私はうれしく思っています」と書かれました。
「国家と国家の関係とは違うところでやりたいみたいなことは、どうしてもあります。詩人だって普通の人間だから国家に縛られてはいます。ただ、ヘイトスピーチとか、そういうところにはいかない。少なくとも僕は絶対いかない。詩は、敵と味方みたいな割り切り方は、絶対できません。詩はそういう世界とは違う。ああいう言語の生まれ方が、理解できないんですよ」
――仮に誰かを批判するにしても、ああいう言い方は。
「物の書き方や言い方で、言葉はいくらでも洗練されていくと思っていたのですが、言語の洗練を全然考えなくなっているところがある」
――詩の「酔うために飲むのではないから/マッコリはゆっくり味わう」という言葉は、表題にもなっています。「酔う」にはどんな意味をこめているのですか。
「どう感じるかは読む人の自由です。僕は飲んでも全然酔えないたちで。味が好きだから飲んでいるという事実の通りです。言葉には人を酔わせる面がある。声になったら特にそう。われわれは第2次大戦を知っている。戦争中、いろいろなモットーや標語がありました。そういうものに日本人が酔って、『戦争反対』という理性を捨てていった。ヒトラーは演説がうまかった。日本でも戦争中に詩の朗読会があり、戦意高揚の詩を、いろんなところを回って読んでいたらしい。言語は人を酔わせる側面があることに対しては、すごく警戒心があると同時に、そういう側面を使って人を酔わせるのが詩だから、両義的なものがあります」
――谷川さん自身、よく朗読をされます。声に出して読んだ時に、詩の力を感じますか?
「自分ではわからないけれど、たぶんあるんだと思います。聞いた人が『おもしろかった』とか『活字じゃわからなかったが声でよくわかった』とか言ってくれると、ある程度力があったんだろうと思います。活字だと読者カードくらいしか返って来ないけれど、読むと目の前の何十人、何百人が拍手してくれて、つまらなければ出て行く。そういうフィードバックが、紙メディアでは味わえないから、朗読をするのがチャレンジングでおもしろい。『オレの詩で酔わせてみたい』というのがあります。お客さんが泣いたりすると、『やったぜ』と」
――詩は日本社会の中で、今どういう存在でしょうか。
「詩を英語でいう『ポエム』に限ると、現代詩は衰えている。一方、『ポエジー(詩情)』と考えると、詩情を求める気持ちは強くなっていると思います。コンピューターに代表されるデジタルな世界になり、人のしゃべり方も、たとえば携帯電話では、少ない語彙(ごい)での情報交換だけになっている。そういうデジタルな雰囲気をみんな感じているから、アナログの最北であるポエジーに、ある欲求を持っていると思います。コミックス、雑貨、ポップスの歌詞、ファッション、観光旅行みたいなもので、自分の詩を欲求する気持ちを満足させられるようになっています。そういう意味で、言語化された、かちっとした詩はとっつきにくくなっています。詩を求めなくても、手近にいっぱい、詩情があるから。詩は、何かを感じ取れればいいものだけれど、理解しないといけないとみんな思っちゃっている。
詩人にとっては、すごく不利な時代です。詩集もどんどん売れなくなっているし。詩は電子メディアにうまくのれないというか、受け取る人も、ディスプレー上ではなく紙の本で詩を読みたい気持ちあるようです」
――詩と詩情はどう違うのでしょうか。
「詩情が含まれていないと、詩とはいえません。だけど詩情だけとりあげれば、景色だろうが踊りだろうが音楽だろうが、詩情はいくらでも感じられる。詩作品と離れて考えることができます」
――どこにでも詩情があることについて、どう思いますか。
「詩情が薄味になっているように感じます。中原中也や萩原朔太郎の詩が持っているポエジーは、非常に濃いものだと思う。でもコミックスの中の叙情的な詩情は、それなりに快いが、人生の深いところに届いてこないのではないでしょうか。一つ一つの作品の問題だから、一概に言えないけれど」
――言葉の量は増えているのに、薄くなっているとしたら皮肉なことです。
「言語の総量が増え続けているのは、相当大きな問題だと思います。みんな言語で何か言えたり、解決できたりすると思いがちだけど、もちろんそうじゃないです。言語ってすごい不十分なものだから」
――谷川さんは、言葉への懐疑をたびたび口にされていますが、日韓関係や世界の混沌(こんとん)に対して、詩人ができることがあるとしたら何だとお考えでしょうか?
「ウイルスみたいなものです。いい方向にいくウイルス。本当に小さい、微力なものだと思う。微力だとばかにしていると、細胞が1個か2個で病気を引き起こしたりするから。そういう微少な力を信じているところがありますね」
――ウイルスは感染するのでしょうか?
「そんなことは考えていません。時間がすごくかかり、即効性でないのは確かです。だけど、そういうものが存在するのは、やっぱり一つの何かだろうなあ」
――詩のウイルスによって、どんな変化が起きるのでしょうか?
「想像できません。一人一人違うし。こういう風になって欲しい、というのもありません」
――散文の場合、何かを伝えようとして書くものですが、詩を書いている時は、何かを伝えたいわけではないのでしょうか?
「そういう詩人もいるし、そういう詩を書くこともあるが、要するに僕は、美しい日本語をそこに存在させたいというだけなんです。どう受け取られようと構わない。美しい日本語、これが最大のポイントです。正義からどんなに遠くても構わない。正しいことから遠くても構わない」
――戦時中に詩が利用されたというお話がありましたが、現代の詩の姿からは、想像もできません。
「『詩的』な言葉全般についていえば、そういう働き方をしています。よくできたコマーシャルというのは本当に詩の1行みたいな強さを持っています」
――今年は戦後70年です。日本の戦後の歩みを、どう見ていますか。
「わかんない。一般論的なことは、あまり発想しない人間だから。普通の人間として毎日生きてきたというのが基本なので。自分の生活しか考えていない。だいたい国家に興味がないから。郷土としての日本は、興味があるけれど。国家としての日本は、税金払って、パスポートもらっていればいいと。なるべく遠ざけていたいです」
――これから日本はどうなっていくと思いますか。
「全然考えたことない。『歴史的な日付よりも自分の年齢の方が大事だ』と、W・H・オーデン(英国出身の米国の詩人)が言っている通りです。2015年の今なにを書くべきかより、83歳のいま何を書くべきかの方が大事だということを、彼は言った。それが詩の性質の一つかもしれません」
――世の中の状況と、リンクはしつつも、それを超えている。
「すごく影響を受けるわけだけど、そこから発想はしないということでしょうね。そこから発想する人も、当然いていいわけだけど」
――韓国では4月に単著の詩集も出ます。中国でも1999年ごろから紹介されています。いい翻訳があれば、言語を超えて詩の魅力は伝わるのでしょうか?
「翻訳されたことばがわからないから、どう伝わっているのか全然わからないな。中国で翻訳された最初の段階で、人気があると聞いたのは、社会的な詩だった。今の中国はそうなのかなと思いました。どこで迎えられているのか、全然検討がつきません」
――谷川さんの詩を中国語に翻訳している中国の詩人の田原(ティエンユアン)さんは、谷川さんの詩が中国で受け入れられた理由の一つとして、創作が「東洋的伝統」に基づいていることを挙げています。ご自分では東洋的伝統を意識されていますか?
「全然意識していません。西洋的というのも、英語圏、仏語圏、スペイン語圏、全部違うでしょう。おおざっぱに言っても意味がないのではないでしょうか。いまは分ける必要がないくらい、いい意味でも悪い意味でもグローバル化しているから」
(終)