『酔うために飲むのではないからマッコリはゆっくり味わう』毎日新聞に紹介されました

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著者インタビュー&紹介記事が新聞に掲載されました。

4/1 毎日新聞夕刊

→  http://mainichi.jp/feature/news/20150402k0000m040015000c.html

日韓交流:マッコリで語ろうよ 詩人が作品集

毎日新聞 2015年04月01日 18時35分(最終更新 04月01日 18時41分)

縁側に座る谷川俊太郎さん。隣人へのあたたかいまなざしがある=東京都杉並区で、小川昌宏撮影

日本と韓国を代表する詩人、谷川俊太郎さん(83)と申庚林(シンギョンニム)さん(79)が詩で語りあう、そんな新しい試みの作品集がなんともいい味を出している。日韓国交正常化から50年−−、ふたりの老詩人は何を思うのか。【鈴木琢磨】

◇谷川俊太郎さん「味わいがカラダごと解きほぐす」

 「酔うために飲むのではないからマッコリはゆっくり味わう」(クオン刊)。「マッコリ、僕、すごく好きなんですよ」。ここは東京・阿佐ケ谷の谷川さん宅。昼下がりにお邪魔するなり、マッコリ談議になった。「新宿の歌舞伎町によく通った韓国風居酒屋があってね。そこのマッコリがうまくて。ゆっくり友人らと語りあうのにいいね」。まだ日は高いが、チヂミでもつまみたくなってくる。風変わりな長いタイトルは作品集に収められた谷川さんの詩から。

<酔うために飲むのではないから/マッコリはゆっくり味わう/アタマの中で右往左往してる意味のもつれを/味わいがカラダごと解きほぐしてくれる/おや やはり少々酔ったのかな>

玄界灘をはさんだ詩人の交流は2012年に邦訳出版された申さんの詩選集「ラクダに乗って」の帯に谷川さんが文章を寄せたことがきっかけだった。<この隣国の詩人は、まるで隣家の主人のように語りかけてくる>。出版記念に申さんが来日、その翌年に谷川さんが訪韓し、対談を重ねていくなかで、詩人同士なら詩を交換しあう「対詩」をやろうとなった。昨年1月から6月まで、翻訳家の吉川凪(なぎ)さんが仲立ちし、メールのやりとりで全24編の詩ができた。しょっぱなの谷川さんの詩。

<父が遺(のこ)した白い李朝の壺(つぼ)/歴史が傷つけた痕があるけれど/それも壺の美しさを損なってはいない/秋 壺はつつましい野花を/黙って抱きとめている>

「僕の父(哲学者の谷川徹三)は民芸運動の提唱者、柳宗悦さんと親しく、子供のころから駒場にある日本民芸館に連れて行かれたんです。そこで李朝の壺や工芸品をたくさん見ました。父もいくつか持っていて、そのひとつが北軽井沢にある父の勉強部屋だったところにいまも残っています。高価な骨董(こっとう)品という感じじゃない。ひびだらけ、傷だらけの壺。げた箱の上に置いてあって、野花を摘んできて飾ったりしています」

ぽかぽか陽気である。谷川さんは縁側にちょこんと腰をかけた。翻訳を担当した吉川さんが言っていた。「ふたりは似てますよ。小柄な背格好もそっくりなら、コドモのままオジイサンになったところも」。申さんは、経歴にある「民衆詩」の時代を開いた詩人だとか、当局ににらまれていた民主化運動のキーパーソンだとかというより、ソウルの路地裏酒場にいそうなコドモのままのオジイサンなのだろう。2人は出会うたび、もじもじするらしい。いがみ合う国と国とは対照的だ。

「日韓関係がぎくしゃくしてるって、それは国家と国家でしょ。国家って、関係ないよって感じです。僕はね。日本っていう郷土には離れがたい絆がある。日本語を使ってるわけだし。でも、詩を書くとき、国家は関係ない。詩なんて、政治権力とか金の力じゃなく、微小な力ですよ。でも政治家とは違った言葉で伝えるしかない。ずっと隣の国同士なんだから。いいウイルスみたいなものが人に作用していけばいいんだけどね」

そして谷川さんはこんな詩を送った。

<ニューズでは/国と国が血を流しているが/天気予報では/気まぐれな雲が/はにかむ地球にヴェールをかぶせている>  すると申さんが返す。

<休戦ラインは春でも夜風が冷たいけれど/咲き始めた野の花たちは/互いに戯れつつ/両側から われ先に/鉄条網を這(は)い上がる>

やや詩がこわばっていきそうな予感がしたからか、谷川さんは変化球を投げる。それが冒頭で紹介した「マッコリ」の詩だった。だが、その直後、韓国の全土はセウォル号沈没事故で悲しみに包まれる。申さんはしばらく自らどうにもできない無念をはき出す。「うーん、詩人だって同じ時代に生きているんだから。僕は彼が厳しい現実を書いてきたら、やわらかく返そうとした。それは対詩が開かれていくためのテクニカルなことだけど、人間としての作法でもあるでしょう。閉じちゃったらだめですよ。僕の連詩の先生、大岡信さんからもたたきこまれました」

対詩は天空の星へ、童心の世界へ。申さん最後の詩。

<子どもたちが外に出てひなたぼっこをしている/木や花や鳥と一緒に/いたずらっ子みたいなお日さまにからだをくすぐられ/耐えきれず皆で笑いさざめく/長い梅雨の終わりは 朝がいっそうきらびやかだ>

ところで、谷川さんごひいきのマッコリのうまい居酒屋は「ぱらんせ」といった。私の行きつけでもあったので驚いた。なくなって7、8年になる。女主人を捜した。「谷川さん、懐かしい。いつも日本と韓国は近づいたり、遠ざかったり。でも人と人との出会いは脈々と続いているんですね。うちのマッコリの味を覚えていてくださったのがうれしい」。涙声になった。

作品集は韓国でも同時発売され、谷川さんは近くまたソウルを訪れる。「マッコリを飲まなきゃいけませんね」

(終)