2025年10月に『完全版 土地』翻訳者の清水知佐子さんが、ソウル大学日本研究所主催の『土地』完訳一周年記念ブックトーク「本で出会う韓日文化交流――暮らしの場から文化のかけ橋へ」で基調講演をされました。
ここにその日本語訳を掲載いたします。

2025年10月27日
清水知佐子
みなさん、こんにちは。韓国文学を翻訳しています清水知佐子と申します。今日はこのような場でみなさんにお話をする貴重な機会をいただき、大変光栄に存じます。お招きいただき、本当にありがとうございます。
今日は「大河小説『土地』と歩んだ10年」というテーマで、私がこの作品とどのように向き合ってきたか、翻訳という営みの中で何を感じ、学んだのか、さらには、この10年の間に日本における韓国文学の受容がどのように変化してきたのかをお話ししたいと思います。
その前に、この場を借りましてあらためてお礼を申し上げたいと思います。『土地』の日本語版完訳に対して2024年9月末、韓国文学館協会から功労賞をいただきました。そして、10月には大統領表彰を受けました。本当にありがとうございます。
私が韓国語を学びはじめたのは、大阪外国語大学韓国語学科に入学した1987年です。年数だけでいうと40年近くになりますが、スピーキングはあまり得意ではありません。
しかも、私は人前で話すこと自体が苦手です。こんなに大勢の前で、韓国語で、40分も話すのは今日が初めてです。なのに、なぜこんな無謀なことを引き受けたのか。それは『土地』を完訳するという無謀なことをやり遂げた経験があったからではないかと思います。
1 序――『土地』との出会い
私と『土地』との最初の出会いは2014年9月、パジュでのことでした。
パジュに行ったのは、東京にある出版社クオンが主催する「パジュ出版団地ツアー」に参加するためでした。それは毎年秋に開催されるパジュブックソリという本のイベントに合わせパジュ出版団地を訪問するもので、宿泊先の紙之郷ホテルで、たまたま私に割り当てられたのが「朴景利の部屋」だったのです。
机の上の方に設けられた本棚に『土地』全20巻が配置されていました。朴景利先生の写真も飾ってあったと思います。その時は20巻という分量に圧倒され、韓国にはこんな超大作を書いた小説家がいるのだなと感嘆するばかりでした。まさか自分がその作品を翻訳することになるとは夢にも思っていませんでした。
その半年後に、クオンの金承福社長から『土地』を翻訳してみないかと提案された時、私は決して、この作品を翻訳する“準備のできた人”ではなかったと思います。客観的に見れば、いろいろな面で不足していたことでしょう。
みなさんもよくご存じのとおり、『土地』は、朝鮮半島の近代史を背景に、当時を生きた市井の人々の人生を赤裸々に描いた大河小説です。登場人物は600人とも言われ、朝鮮時代末期の1897年から1945年までの48年が描かれた民族大叙事詩です。そんな作品を日本語に訳すには、韓国語そのものの実力はもちろん、当時の歴史や文化・風俗に対する豊富な知識とそれを読み解く力が求められます。
つまりそれは、準備のできていない私にとって気の遠くなるような大プロジェクトだったわけですが、それでもやってみたいと答えたのは、この小説は一つの時代の息づかいそのものだと感じたからです。
2.10年の翻訳チーム——4人で挑んだ「完訳プロジェクト」
完訳プロジェクトは、私ひとりの仕事ではありません。一緒に走ってきた仲間たちがいます。共訳者の吉川凪さん、編集者の藤井久子さん、校正・校閲の朴さん。この4人がチームとなり、2015年夏にプロジェクトを実働させました。そして、このプロジェクトの企画者であるクオンの金承福社長をはじめ、監修者の金正出さん、装丁家の桂川潤さん、DTPの御手洗さんら心強い仲間がいたからこそ、最後までやり抜くことができたと思っています。編集者の藤井さんは日本語訳の第一の読者で、本当に毎巻、翻訳原稿を楽しみにしてくれ、大きな心の支えになりました。
翻訳については、一人が1冊ごとに責任を持って訳すという方式を取りました。吉川さんが1巻を訳せば私が2巻を訳し、吉川さんが3、4巻を訳して私が5巻を訳し、といった形で、最初は7年プロジェクトのつもりでした。
ところが、いざ始めてみると二人で1年に3冊ずつ訳していくというのは容易なことではありませんでした。あまりの難しさに、なぜこんな難しいことを引き受けてしまったのだろうと後悔したこともあります。
今日、会場に来られている方の中で、『土地』20巻を全部読んだという方はいらっしゃいますか? そうですよね。韓国人でも完読するのは大変だと言われているのがこの『土地』という作品です。私が『土地』を翻訳していると韓国人に話すと、まず驚かれるポイントもそれでした。そしていつも、「韓国を代表するすばらしい作品を訳してくれてありがとう」と感謝され、そのたびに最後までやり遂げなければと身の引き締まる思いでした。
『土地』を翻訳しはじめてから私は毎日、夜中まで韓国語と取っ組み合いました。まるで、単語一つひとつ、文章の一つひとつが私に問いかけてくるようでした。
「お前は、この言葉の根源的な意味を本当に知っているのか」と。
『土地』には、慶尚道、全州道、咸鏡道、平安道など朝鮮半島各地の方言をはじめ、時代性が反映された独特な言い回し、当時の人々の息づかいが感じられる表現など、日本語では到底そのニュアンスを表現しきれない文章が数多く出てきます。
そのたびに私は自分に問いかけました。
「私は今、この文章を翻訳しているのだろうか、この人の人生を翻訳しているのだろうか」と。
そして、翻訳は言葉の問題ではなく、その言葉で表現された人々の心を感じ取り、心の温度差を縮めることだとあらためて気づきました。そして、作中人物たちの心を理解しようと努めました。
3.物語の舞台を訪ねて
作中人物たちの心を理解しようと1年365日、苦難の時代を生きる人々と向き合っていると、私も心身ともに苦しくなり、悲鳴を上げたくなる瞬間がたびたび訪れました。20巻を完訳しなければならないというプレッシャーも、今思うと相当重く私の両肩にのしかかっていたようで、右肩、左肩と二度も五十肩になってしまいました。
そこで、気分転換とモチベーションアップのために『土地』の舞台や朴景利ゆかりの地を訪ねる踏査旅行に出かけました。作家がこの作品に費やした情熱を肌で感じ、作中人物たちが生きて歩いた土地を自分の足で確かめたいと思ったのです。
それらの場所を訪れるたびに、作中人物たちの息づかいが蘇りました。作品の舞台を歩くということは、作者の目で世界を見ようとする行為でもあります。私はいつも、朴景利先生が見ていた「世界のスケール」を自分の目で確かめたかった。だからそうした踏査旅行は、翻訳作業の一部でもありました。
最初に行ったのは原州と河東でした。原州の朴景利文学公園では、朴景利先生の執筆部屋を見学し、直筆原稿を目にして『土地』が書かれた25年という時間の重みを実感しました。
朴景利先生の娘で当時、土地文化館の理事長だった金玲珠さん(2019年11月逝去)も訪ねていきました。朴景利先生がすでに他界し、直接会うことが叶わない中、金玲珠さんにお目にかかって激励していただいたことは、後々、翻訳作業を続けていくにあたってとても大きな力になりました。原文に忠実な翻訳ではなく、作家の言いたいことがよく伝わる、物語としての完成度の高い翻訳をしてほしい、大勢の人に広く読まれる翻訳を目指してほしいという言葉にも、とても勇気づけられました。
河東の「崔参判宅」では、母屋、舎廊、別堂、行廊などがある地主の家、屋敷の下に広がる蟾津江、農民の家などを見て回り、具体的に物語のイメージを膨らませ、言語化するのにも大いに役立ちました。
2018年には旧満州の延辺、長春、瀋陽、ハルビンへ行きました。両親が幼い頃に黒竜江省に移ってきたという朝鮮族の大学教授に案内してもらい、尹東柱のおじである金躍淵らが開拓し、民族教育を行った明東村や尹東柱の墓地にも行きました。
2019年には沿海州(ロシアの沿海地方)に行きました。朝鮮の人々が集まって住んでいたウラジオストクの新韓村、独立運動の拠点だったウスリースク、スターリン時代に中央アジアへ強制移住させられた高麗人が再び戻ってきて暮らす高麗人友情村にも行きました。
高麗人友情村ではその中の一軒のドアをノックすると、私と同世代ぐらいの、韓国語を全く理解しない女性が出てきました。『土地』では西姫たちは朝鮮に帰ったけれど、帰れないままロシアの地で生き続け、時代に翻弄された人がいたことをこの目で目撃し、『土地』という小説があらためてリアルに迫ってきた瞬間でした。
沿海州の旅の時、ロシア人の通訳士からこう聞かれました。
「なぜ、今になって韓国で書かれた古い小説を日本で翻訳するのですか」
私は答えました。
「それは、まず何よりも優れた文学作品だからです。そしてもう一つ、この作品を通して日本の読者は、教科書では学べない朝鮮半島の近現代史を、数多くの人々の生を通して感じることができるからです」
歴史とは、誰かが生きてきた時間の積み重ねです。『土地』に登場する600人の人々は、まさに生きた歴史そのものです。だから、この作品を翻訳することは、歴史の中に埋もれてしまった人々の声を蘇らせることでもあります。
最近、ペク・スリンさんの長編小説『まぶしい便り』を読んだのですが、ドイツ派遣看護師を「愛国」「犠牲」「哀れな人」といった言葉で一括りにしてしまうことに対する著者の強い抵抗を感じました。『土地』は、登場人物のそれぞれの個性が生きていて一人ひとりの命の尊さを感じ取ることができます。日本の読者が少しでも、当時の人々の痛みや苦しみ、哀しみに寄り添えたら——それが訳者としての私の願いでもあります。
4.『土地』が私に教えてくれたこと
私はこの作品から三つのことを学びました。
一つ目は広く世界を見る目を持つこと。朝鮮半島だけでなく、東京、旧満州、沿海州と舞台が広がる壮大な物語を翻訳することで、韓国と日本という二つの国ではなく、アジアの歴史という大きな枠組みの中で物事を捉え、考える視点を得ました。
二つ目は人を多面的に見ることのできる視線です。600人の登場人物がそれぞれの事情を抱えて生きる姿を通して、人間の複雑さと尊さにあらためて気づきました。人も物事も、一面だけを見て判断するのではなく、目に映る姿のその奥にあるものを想像しようと努力することを覚えました。
三つ目は問い続けることの大切さです。イ・ギホさんの朴景利先生に対するオマージュがこめられた短編小説「原州通信」の最後にこんな一節があります。
どうすればそんなに長い間、一つの小説を書き続けられるのかという質問に、朴景利先生はこう答えていた。
「ただ、ひたすら何かを問い続けるんですよ」
25年間、朴景利先生が「人はどう生きるべきか」を問い続けたように、私も翻訳していた10年を通してそれを自分に問い続けました。
5.「土地文化館」での最後の推敲
2024年8月、私は3週間、韓国・原州にある土地文化館に滞在しました。みなさんもご存じのとおり、そこは、朴景利先生が晩年を過ごし、後進の作家たちのために創設したレジデンス施設です。
山に囲まれた静かな場所で、夜になるとキバノロの鳴き声が聞こえてきます。まるで朴景利先生が見守ってくださっているような温かい雰囲気の中で、私は最後の20巻の推敲をしました。
これまで私は「作家・朴景利」から多くを学んだと思っていましたが、原州での3週間を経て、私は「人間・朴景利」からも多くを受け取った気がします。自然の中で働き、畑を耕し、若い作家たちを支えながら、静かに晩年を送った朴景利先生。その生き方そのものが、私に「人間らしく生きる」ことの意味を教えてくれました。それは『土地』という作品が伝える根本的なメッセージでもあります。「人は、どんな時代においても、誠実に生きようとする限り美しくありうる」と。
翻訳という長いマラソンを走り抜いたあと、この場所で過ごした時間は私にとって、まさに「ご褒美」のようでした。畑で採れた野菜を使った健康的でおいしい食事をいただき、日中は静かな書斎で仕事をし、夕食の後には滞在中の小説家や詩人、絵本作家、美術家たちと近くの山を散歩する。時にはせせらぎに足を浸けてはしゃいだり、ホウセンカの花で爪を染めながら笑い合ったこともありました。
それはどこか、『土地』の20巻に出てくる弘の長女、尚義が通うES高等女学校の寮生活のようでした。皆、都会の喧騒から離れてそれぞれの創作に集中し、いいものを作り出そうとしている人たちで、そこには何ら利害関係のない、純粋な連帯がありました。大人になってから、そんな友情を持てることの尊さを改めて感じました。
こんな後日談もあります。土地文化館で出会った作家たちが、昨年12月に東京を訪れました。そのうちの一人がある日、靖国神社に行った時、石の一つも投げつけてやろうと手に石を握りしめていたのですが、ふと、私のことを思い出して石を投げるのを思いとどまったというのです。ここは私の友達が住んでいる国だ、私の友達の国だと。
その話を聞いて私は胸が熱くなりました。そして、『土地』を訳して本当によかったと思うと同時に文学の力を実感しました。
6.統営へ――完訳報告と感謝の意を
2024年10月下旬、私たちは『土地』日本語版の完訳を記念して統営を訪れました。2016年秋に1巻と2巻の邦訳を携えて行って以来、8年ぶりのことでした。朴景利先生の墓前に20巻の日本語版をずらりと並べ、無事に完訳できたことを報告し、長い間、翻訳作業を見守っていただいたことへの感謝の意を伝えました。
そこではうれしい出会いもたくさんありました。すべての出会いが本当に贈り物のようなものばかりだったのですが、今日は、「本屋河東」のカン・ソンホさんをご紹介します。カン・ソンホさんは、土地の舞台でもある河東の書店で働き、『土地』の読書会をしている方です。統営ツアーには日本の『土地』の読者が多く参加していたこともあり、カン・ソンホさんは私たちを熱烈に歓迎してくださいました。
カン・ソンホさんは韓国と日本の『土地』の読者の交流会も提案してくれました。来年、朴景利生誕100年の2026年春に、それが実現しそうで、今からとても楽しみにしています。
7.『土地』読書会スタート
カン・ソンホさんの提案を受け、私たちは2025年1月から『土地』完読のための読書会をスタートさせました。メンバーは15人ほど。毎月1冊ずつ読んできて担当者が発表するという形式で、10月22日で9巻まで読み終えました。
実は、カン・ソンホさんに出会う前から、『土地』を20巻翻訳し終えたら完読読書会をやりたいと考えていました。そのヒントをくれたのは江原道の春川図書館で行われていた『土地』完読セミナーでした。2018年11月に、韓国文学翻訳院のレジデンス事業でソウルに1か月滞在していたのですが、その時に、土地学会のイ・スンユン先生が春川図書館の取り組みを教えてくれ、そのコーディネーター役を務めていたキム・テヒ先生がソウルから春川まで私を案内してくれました。
春川図書館の読書会は、毎週1巻ずつ読み進め、5か月ほどで完読するというものでした。私も一日だけ参加して13巻について意見や感想を交換しました。そして、その日以来、完訳したら読書会をするのだとあちこちで触れ回っていました。
すると、統営ツアーのメンバーの中に、私の思いに熱く応えてくれた人がいました。元高校教師の山岡幹郎さんです。山岡さんはカン・ソンホさんともすっかり意気投合し、今は読書会のまとめ役として会を取り仕切る頼もしい存在です。
9月24日に行われた第8回読書会では、『土地』第8巻を取り上げました。第8巻は第2部の完結巻であり、崔参判家奪還から西姫の帰還までが描かれ、国際情勢を背景に抗日運動や親日派の動向、愛の行方、次世代の登場が織り込まれています。特に登場人物の心情描写が豊かで「最も面白い巻」との声が多く上がりました。西姫と吉祥の葛藤、龍と月仙の死別場面に対する強い共感も寄せられました。
山岡さんのすごいところは、各章のあらすじをエクセル表にまとめながら、何度も通読していることです。翻訳者の私よりも詳しい読者かもしれません。また、毎日一章ずつ、『土地』を読むのが日課だという人もいます。読書会のメンバーは中高年が多いですが、最近、若手メンバーが加わり、読者層の広がりを期待しています。
8.日本における韓国文学ブームのさらなる広がり
ここで、近年の日本における韓国文学ブームについて少しだけお話ししたいと思います。私が『土地』の翻訳を始めた2015年とは異なり、今、日本における韓国文学への関心度、評価は大きく高まっています。
文学好きの間でじわじわ浸透しつつあった気運が2018年末に邦訳刊行された『82年生まれ、キム・ジヨン』によってぐんと広がり、韓国でも流行していたヒーリングエッセイが日本にも次々と上陸し、小説、絵本、YA小説、児童書、人文書と今ではさまざまなジャンルの本が次々と邦訳出版されています。
そんな中、私も、毎年1冊ずつ『土地』を訳しながらほかの作品を翻訳しました。キム・ハナさんとファン・ソヌさんのエッセイ集『女ふたり、暮らしています。』、イ・スラさんの『家女長の時代』、パク・ソンウさんとキム・ヒョウンさんの『9歳のこころのじてん』、クァク・ミンジさんの『私の「結婚」について勝手に語らないでください。』、呉貞姫さんの『幼年の庭』などです。シン・ソンミさんの絵本『真夜中のちいさなようせい』では産経児童出版文化賞の翻訳賞を受賞しました。
そうしてさまざまなジャンルの本を翻訳することは『土地』の翻訳にも大いに役立ち、逆もまたしかりです。それによって『土地』の完訳に時間がかかってしまったと言えるかもしれませんが、私にとってはベストな進め方だったのではないかと思います。
昨年のハン・ガンさんのノーベル文学賞受賞が韓国文学ブームに拍車をかけ、日本では今、韓国文学はブームを超えて一つの確固としたジャンルとして定着したと言えるでしょう。そんな中でまだまだ不足していると感じるのが詩の紹介です。
実は、原州の土地文化館で昨年、シン・ミナさん、キム・ボナさんという二人の詩人と知り合いました。その時、お二人との何気ないやりとりの中に詩を感じることがたびたびあり、私の中で詩に対する関心が芽生えました。
そして、今年の5月と6月にシン・ミナさんが、韓国文化芸術委員会とK-BOOK振興会が主催する「ライター・イン・レジデンスプログラム2025」の招へい作家として来日し、シン・ミナさんが東京に滞在する間、詩の朗読会やトークイベントなどを共にし、詩の翻訳にも取り組んで、私と詩の距離がぐっと狭まりました。詩が私のところにやってきた、そんな気がして、次は韓国の詩をもっと紹介していきたいという思いが強まりました。
詩集を翻訳するには翻訳者自身も詩人でなければならないという考えから、日本の詩人たちが行っているイベントにも通うようになりました。そこで知り合った二人の詩人に、「10月末に韓国に行くのですが、もしよかったら一緒に行きませんか。」とお誘いしたところ、「ぜひ行きたいです!」とうれしい答えが返ってきました。このあと夜遅く、マーサ・ナカムラさん、田中さとみさんという二人の詩人がソウルに到着する予定です。
もともと、今日のこのイベントが終わったら、シン・ミナさんと会う約束をしていたのですが、マーサさんとさとみさんが来韓することになったということで、シン・ミナさんと仲間の詩人たちが急きょ、朗読会を企画してくれました。明日の夜、三仙洞のミッチュルというカフェで韓国と日本の詩人9人の交流朗読会が実現することになりました。
9.おわりに——次なる旅へ
この10年は、私にとってかけがえのない旅でした。『土地』の翻訳は終わりましたが、そこから始まった言葉の海を泳ぐ物語はまだ続いています。
『土地』を訳して、本当によかった――。この10年の歩みの中でそう思える瞬間が、何度もありました。これからも、自らが文学を通して互いを理解し尊重し合い、ほかの人たちにもそんなきっかけをおすそわけできる仕事をしていけたらと思っています。
本日は、ご清聴ありがとうございました。

2025年10月27日、第20回人文週間イベント『土地』完訳一周年記念ブックトーク
「本で出会う韓日文化交流――暮らしの場から文化のかけ橋へ」
(ソウル大学日本研究所主催)基調講演、日本語訳