著者・監修・訳者紹介

●著者

朴景利(パク・キョンニ)-その生涯

作家への道

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朴景利は1926年、現在の慶尚南道統営[トンヨン]市に生まれた。父親は家庭をかえりみない人で、母親はほとんど女手一つで朴景利を育てた。少女時代の朴景利は、追い出されるまで本屋にいすわって詩や小説に読みふけった。

1945年に晋州[チンジュ]高等女学校を卒業後、郵便局に勤め、翌年、東京留学の経験を持つ金幸道[キムヘンド]と結婚した。1947年、長女金玲珠[キムヨンジュ](現・土地文化財団理事長)を産む。1948年、夫が仁川市の専売局に就職して同市に引っ越し、ここで長男を産んだ。そして小さな古本屋を経営しながら読書に没頭し、家族とのささやかな幸福を味わっていた。

1949年、ソウルに転居。翌年、朝鮮戦争が勃発。混乱のさなかで、左翼と目された夫が西大門刑務所に収監され、獄死。さらに1956年には幼い長男を不慮の事故で亡くすという悲運が重なった。

幼少期からの父親の不在、夫と長男を相次いで亡くした衝撃と喪失感は、朴景利の家族観、死生観に少なからぬ影響を与えた。

解放後の文壇を牽引してきた作家の一人である金東里[キムドンニ]に師事して小説を書き始めた朴景利は、1955年に短編「計算」を、翌年には短編「黒黒白白」を発表して小説家として認められた。韓国の女性作家としては、草分け的な存在だと言える。初期の作品には、朝鮮戦争で夫を亡くし、一人娘と姑と暮らす女性が描かれているものが多い。1958年頃からは長編小説を次々と発表して注目を集め、各種の文学賞を受賞する実力派の作家に成長した。

1962年に出版した書き下ろし長編『金薬局の娘たち』で、朴景利は新たな文学世界を切り拓いた。人生の悲喜劇から視野を広げ、社会との関わり、時代に翻弄される人間の性[さが]――善くも悪くもある根源的な人間性――を描くことで、普遍的な文学の領域に踏み入ったのである。

 

25年間にわたった『土地』の執筆

1969年9月、大河小説『土地』第一部の連載が始まった。1971年の乳がんの手術を経て、1972年9月に第一部の連載を終え、翌月には第二部を書き始める。

1973年、長女玲珠が詩人金芝河[キムジハ]と結婚。朴正煕[パクチョンヒ]大統領(当時)の独裁政権と言論弾圧を批判した金芝河は度々逮捕され、1974年に死刑判決を受ける。これに対して日本も含めた国際社会から釈放を求める運動が起きた。1980年に金芝河が釈放されるまで、朴景利と玲珠がさまざまな苦難を強いられたことは言うまでもない。

そうした中で『土地』第二部の連載は1975年10月に終わる。第三部は1977年1月に連載開始、1979年12月に完結した。

1980年、江原道[カンウォンド]原州[ウォンジュ]市に移住して、自宅敷地内の畑を耕しながら執筆を続けた。1981年から連載が始まった『土地』第四部は、3度の中断と掲載誌の変更を経て、88年にようやく完結する。

1992年9月、『土地』第五部を連載開始し、1994年8月15日、26年にわたって書き続けた大河小説『土地』が完成した。

朴景利は1991年と翌年、延世[ヨンセ]大学原州キャンパスで「韓国文学の理解」「小説論」を講義した。教室の中だけでなく、広大なキャンパスに広がる緑地の木陰で学生たちに講義したこともあったという。

 

晩年の朴景利

2003年には長編『蝶よ 青山に行こう』の連載を始めたが、3回掲載した後に体調を崩し、未完に終わった。

2007年、肺がんと診断されたが高齢を理由に治療を拒否し、2008年、惜しまれつつ世を去った。享年81歳。

朴景利は『土地』を執筆するかたわらで、その他の小説、詩、エッセイなども多数発表している。受賞した文学賞、芸術賞は数知れない。晩年は特に環境問題に関心を深め、自ら畑を耕して、自然の営みとともに生きることを大切にした。自宅にやってくる野良猫たちに餌を与えるのも楽しみの一つだったようだ。そのような晩年にも、執筆意欲が衰えることはなかった。

手先が器用で、裁縫を得意としていた。また、造形芸術にも関心と才能を持っていたらしく、執筆の合間に制作した彫刻も残されている。それらの作品は現在、朴景利文学公園(原州市丹邱胴の旧宅およびその周辺を作家の死後に公園として整備したもの)内の記念館「朴景利文学の家」に展示されている。

 

略年譜

1926年 陰暦10月28日(西暦12月2日)、現在の慶尚南道統営市で朴寿永[パクスヨン]の長女として出生。本名朴今伊[パククミ]
1945年 晋州高等女学校卒業。
1946年 金幸道[キムヘンド]と結婚。
1950年 ソウルに転居し、首都女子師範大学家庭科卒業。黄海道[ファンヘド]の延安[ヨナン]女子中学校に教師として勤務。朝鮮戦争中に夫と死別。
1953年 ソウルで新聞社、銀行等に勤務しながら習作を書き始める。
1955年 『現代文学』に金東里の推薦により短編「計算」を発表。
1956年 長男が事故で死亡。
『現代文学』に短編『黒黒白白』が推薦され作家として認められる。本格的な執筆活動を開始。
1957年 短編「不信時代」で第3回『現代文学』新人文学賞受賞。
1958年 初の長編『哀歌』を『民主新報』に連載。
1959年 長編『漂流図』で第3回来成文学賞受賞。
1962年 書下ろし長編『金薬局の娘たち』刊行。
1965年 長編『市場と戦場』で第2回韓国女流文学賞受賞。
1966年 エッセイ集『Q氏に』『待つことの不安』刊行。
1969年 『土地』第一部を『現代文学』に連載開始。
1971年 8月、乳がんの手術を受ける。
1972年 『土地』第二部『文学思想』に連載開始。『土地』第一部により第7回月灘文学賞受賞。
1973年 『土地』第一部がサムソン出版社から刊行される。
1977年 『土地』第三部を『主婦生活』『読書生活』に同時連載で開始。『韓国文学』に掲載誌を移して完結。
11月からKBS制作のテレビドラマ『土地』(第一、二、三部)が放映開始し、1980年8月まで続く。
1979年 『朴景利文学全集』全16巻が知識産業社から刊行される。
1980年 原州市[ウォンジュシ]丹邱洞[タングドン]に移住。
1981年 『土地』第四部を『マダン(庭)』に連載開始したものの中断。
1983年 『土地』第四部を『政経文化』で連載再開、12月に中断。
『土地』第一部日本語版(安宇植、鎌田光登訳、福武書店)刊行。
1985年 エッセイ集『原州通信』刊行。
1987年 『土地』第四部の連載を『月刊京郷』で再開。
1988年 『土地』第一部から第四部までがサムソン出版社から刊行されめる。
初の詩集『出航できない船』刊行。
1989年 夏に中国各地を旅行し、その紀行文を新聞に連載。
1990年 第4回仁村賞受賞。詩集『都市の猫たち』刊行。
1992年 『土地』第五部を『文化日報』に連載開始。
1994年 8月15日、『土地』脱稿。全五部16巻を刊行(ソル出版社)。
梨花女子大学名誉文学博士の学位を授与される。
『土地』第一部フランス語版刊行。
1995年 延世大学原州キャンパス客員教授。『文学を志す若者たちに』刊行。
『土地』第一部英語版、『金薬局の娘たち』フランス語版刊行。
1996年 第6回湖巌[ホアム]芸術賞受賞。
チリ政府からガブリエラ・ミストラル文学記念メダルを授与される。
土地文化財団発起人大会開催。
1997年 延世大学碩座[ソクチャ]教授(企業や個人の基金で研究活動をするよう大学が指定した教授)。
社団法人土地文化館理事長に就任。
『市場と戦場』フランス語版刊行。
1999年 土地文化館開館。
2000年 詩集『私たちの時間』刊行。
2001年 土地文化館で文学者および芸術家のための創作室運営開始。
『土地』ドイツ語版刊行。
2002年 『土地』全21巻(ナナム出版社)刊行。
2003年 青少年向け『土地』(ダイジェスト版)刊行。
環境文化季刊誌『スムソリ(息づかい)』創刊(土地文化館発行)。
長編『蝶よ 青山に行こう』を『現代文学』に連載するも、未完に終わる。
2004年 エッセイ集『生命の痛み』刊行。
SBSテレビドラマ『土地』(邦題「名家の娘ソヒ」)の放映開始。
2006年 『金薬局の娘たち』中国語版刊行。
2007年 エッセイ集『新・原州通信――仮説のための妄想』刊行。
漫画『土地』第一部刊行。童話『土地』刊行。
2008年 『土地』第一部中国語版刊行。
4月、詩「カッチソル(大みそか)」「母」「昔のあの家」を『現代文学』に発表。
5月5日他界。金冠文化勲章追叙。
6月、遺稿詩集『後は捨てていくだけだから実に身軽だ』刊行。
2010年 原州土地文化館で第1回朴景利文化祭開催。
2011年 10月、朴景利文学賞制定。
青少年向け『土地』(ダイジェスト版)日本語版(金容権訳、講談社)刊行。
2012年 『土地』全五部20巻刊行(マロニエブックス)。
2015年 漫画『土地』完結(マロニエブックス)。

 

●監修

金正出(きむ・じょんちゅる)

1946年青森県生まれ。1970年北海道大学医学部卒業。

現在、美野里病院(茨城県小美玉市)院長。医療法人社団「正信会」理事長、社会福祉法人「青丘」理事長、青丘学院つくば中学校・高等学校理事長も務める。訳書に『夢と挑戦』(彩流社)などがある。

 

●訳者

吉川凪(よしかわ なぎ):第1巻担当

大阪生まれ。新聞社勤務の後、韓国に留学。仁荷[イナ]大学博士課程修了。文学博士。著書『朝鮮最初のモダニスト鄭芝溶[チョンジヨン]』、『京城のダダ、東京のダダ』、訳書『申庚林詩選集 ラクダに乗って』、『都市は何によってできているのか』、『酔うために飲むのではないからマッコリはゆっくり味わう』、『アンダー、サンダー、テンダー』など。

 

清水知佐子(しみず ちさこ):第2巻担当

和歌山県生まれ。大阪外国語大学(現・大阪大学)朝鮮語学科卒業。在学中に延世大学韓国語学堂に留学。
読売新聞大阪本社に勤務した後、ライターとして活動。共訳に『朝鮮の女性(1392−1945)−身体、言語、心性』、『銭の戦争』。

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