『幼年の庭』特設ページ

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韓国におけるフェミニズム文学の源泉ともいえる作家、
呉貞姫(オ・ジョンヒ)の小説集
『幼年の庭』2024年刊行予定!

呉貞姫について
韓国で文学界の巨木という修飾語が似合う作家である。
「幼年の庭」「中国人街」「火の川」などの作品で文壇の評価はもちろん同業者の小説家たちや一般読者からの信頼が高い。
オ・ジョンヒの多くの作品の主人公は女性である。フェミニズム文学だと言っても過言ではない。屈曲の多い近現代史の中の韓国女性の実際の生活と感情をリアルに描いている。
作品の中の女性たちは、父親の不在、他の男性家族からの暴力、無力な母親などに苦しめられながらも、力強く状況を乗り越えたりする。また性的な逸脱をしたり、生計維持のために米軍に売春をし、売春婦という蔑視とともに一家の大黒柱という表面上の褒め言葉を聞きながらその中をさまようこともある。オ・ジョンヒの文体は女性らしさと繊細さ、描写の細かさに加え、やや一般的ではない登場人物の心理描写、不安感、焦燥感、緊張感などの感情描写で有名である。これに関する論文も多数存在する。
小説家のピョン・ヘヨン、カン・ヨンスク、ユン・ソンヒは、「オ・ジョンヒを読まずに小説を書くことは不可能だ」という。
原稿を書き終えると最初から最後まで録音機に録音し、それを再生して聞いて文章を修正する癖がある。自身の小説はすべて暗記しているという。

『幼年の庭』について
1981年に文学と知性社から刊行された小説集『幼年の庭』の改訂版として、2017年に同社から出た『呉貞姫コレクション』(全5巻)に収められた一冊。
収録されている8つの中・短編は連作を念頭に書かれたものではないが、最初に小説集をまとめる段階で編集者らのアイデアによって作品の発表順ではなく主人公の年齢順に並べられた。それによって、1950年代から1980年代初めにかけて幼少期から中年期を生きた一人の女性の生涯が浮かび上がる連作小説のような形になっている。

発行人のことば
私が学んだ文芸創作科の小説の授業では、特別な教材があるわけではなく、学生たちが書いた短い小説をもとに授業が行われた。

はじめのうち、小説を書くからにはインパクトのあるストーリーでオチがしっかりしていなければならないと考えていた。また、内容やスタイルを考えることよりも、自分も早く電動タイプライターで書きたい、そのほうが上手く見えるという思いばかりが先走っていた。
私が書いた1500字程度の小説には、主人公の出生の秘密や記憶喪失というネタが含まれていた。今思えば韓流ドラマのようだ。私だけでなく友人たちの作品も、派手な事件が起きたり、ストーリー性の強いものばかりだった。
そんな私たちに教授が読ませた小説はオ・ジョンヒだった。
これといったストーリーラインや出来事もなく、現在なのか過去なのかも曖昧で、記号で括られていない会話やイメージ描写で話者の内面を想像させる小説。読んでいる最中は迷路をひたすら歩いているようだけれども、読み終わると山奥のお寺にいるような敬虔な気分になる。ああ、私もこのような小説を書きたいと何度も思った。
一緒に学んだ友人たちもみなオ・ジョンヒの文章に圧倒され、作品一つひとつを書き写したりしていた。小説家になったハ・ソンナン、ユン・ソンヒ、姜英淑などは、オ・ジョンヒの新作が出ると誰よりも喜んでいた友人たちだ。
私が18の頃から好きだった「幼年の庭」や「中国人街」。
長年大切にしてきた自分の宝物を皆さんに見ていただくような思いで小説集『幼年の庭』を刊行する。
日本の友人の皆さんにも、ぜひ、オ・ジョンヒの小説に触れていただきたい。
────クオン代表 金承福(キム・スンボク)

推薦のことば
呉貞姫に心奪われることなく「文学する」ことは可能だろうか。韓国において、致命的なほど文学の虜になるというのは、呉貞姫の世界に魅了されることを意味する。「呉貞姫」という名前は、文学そのものだ。彼女の小説の緻密で秘密めいた恐ろしい美しさについて語ることは、もはやいかなる発見の感動も与えない。それは、韓国現代文学が有する、生きた神話に属するからだ。
────イ・グァンホ(文芸評論家)
「彼女の体の中に、深い水の時間たち」(『呉貞姫を深く読む』、文学と知性社、2007年、未邦訳)より

ワット アー ユー ドゥーイング? あなたは何をしていますか? アイム リーディング ア ブック……。久しぶりに広げた「幼年の庭」の冒頭を読んだ私は一瞬にして、今はもう再開発でなくなってしまった昔の家の屋根裏部屋に、一つひとつ、ときめきと不安と挫折の間を貫くその文章を読んでいた頃に戻り、まるで古びた未来を見下ろすかのような、誰もいない路地を見つめているような錯覚に囚われる。「夜のゲーム」も「火の河」も同じだっただろう。当時、偽悪的な人物と彼らのタブーに挑戦することは、苦痛でありながらもどれだけ痛快だったことか。
生というもののしぶとさと人生の不条理をむき出しにした場面の上に、自身を限界まで追い立てたであろう若かりし日の先生の姿が重なる。四方に対して恥ずかしくて申し訳なかった、眠れないあの夜の数々を今なら少し理解できる。ぴんと張り詰めた緊張の中を、いつも慎み深く歩いていたであろう先生の姿を思い浮かべながら、私も少し慎重にならなければならないのではないかと考える。三十年余りが過ぎたけれど、私は今も呉貞姫文学の庇護の下にいる。
────ハ・ソンナン(小説家)
『幼年の庭』(文学と知性社、2017年)帯文より

各作品のあらすじ
「幼年の庭」
語り手は食いしん坊でいつも盗み食いをする女の子、ノランヌン(黄色い目)で、著者がモデルとなっている。
大家一家への好奇心を膨らませながら過ごした間借り生活、父親不在の中でも逞しく生きていく家族の姿と関係性、排他的で退廃的な避難先の田舎町の空気がノランヌンの目を通してまるでセピア色のモノクロ写真のようにぼんやりと描かれている。
>>>ためし読みはこちら

「中国人街」
戦争、そして休戦から復興へと続く動乱の中で少女時代を過ごした著者の経験がもとになっている。
もちろんフィクションだが、父の就職によってようやく避難先を離れた日、夜通しトラックに揺られてたどり着いた町にまるで荷物のように投げ降ろされたこと、同居していた祖母(実際は祖母ではなく母の遠い親戚)のこと、近所の売春婦などについては実話であり、8歳から12歳まで仁川の「チャイナタウン」で過ごした頃の著者の記憶が凝縮されたものだ。

「冬のクイナ」
母と二人で暮らす30歳の女性が、大きな夢を抱きながら何一つ実現できず、没落の一途をたどっていく兄を憐みつつ幼少時代を懐かしむ物語だ。
クイナと訳した原文の「뜸부기」は「ツルクイナ」のことで、韓国では一般的に夏の鳥として知られていて、「冬のクイナ」というタイトルは、落ちぶれていく兄を連想させる。

「夜のゲーム」
若い未婚女性と糖尿病を患う父の生活を淡々と追った一編。
夕食後、二人の間で習慣のように繰り返される花札遊びの様子が詳細に描写されている。互いの秘密を知っていながら見て見ぬふりをする娘と父。「夜のゲーム」というタイトルはそんな二人の関係の隠喩であり、模範的な娘と威厳ある父という社会的役割を演じ続ける二人の花札遊びの陰に覆い隠された暗い感情が、現在と過去が溶け合うように混在した文章によって少しずつ暴露されていく。

「夢見る鳥」
著者が夫の転勤に伴ってソウルから春川(チュンチョン)に移り住んだ年に発表された短編で、見知らぬ土地で戸惑い、子どもの世話に追われる女性の不安な日々が描かれている。

「空っぽの畑」
孤独な子育ての中で空虚感に苛まれた主婦が、「彼」を待ち焦がれながら夫や幼い息子と共に釣りに出かける物語。
「彼」は不倫相手なのか、初恋の相手なのか。すれ違ってしまった夫婦の微妙な関係を修復することもできず苦悩に陥った主婦は、孤独に葛藤しつづける。

「別れの言葉」
ある夏の暑い日に、著者が母と一緒に金浦(キンポ)市にあるチャンヌン墓地に行ったことがモチーフとなっている。
軍事独裁政権の下、反体制を叫ぶ人々に対する徹底的な弾圧が行われていた頃で、ある署名運動に参加した夫が大雨の中で事故に遭ったのではないか、職務質問に引っかかって連行されたのではないかと毎日不安におびえていた事実をもとに書いた作品だと著者は明かしており、そんな時代の空気が軍用トラックの物々しい隊列によって暗示されている。

「暗闇の家」
ある冬の日に突然、夜間灯火管制訓練が行われ、その20分ほどの間を真っ暗な家の中で一人過ごす平凡な主婦の不安な心理が幻覚や幻聴という形を伴って表現されている。
自分を顧みない家族との暮らしの中で空の巣症候群(エンプティ・ネスト・シンドローム)に陥った主婦の描写はやや病的で被害妄想的だと感じられるほどだ。

著者プロフィール
呉貞姫(オ・ジョンヒ)
1947年、ソウル生まれ。1970年にソラボル芸術大学文芸創作科卒業。
1968年の中央日報新春文芸に「玩具店の女」が当選して作家デビューした。
1979年に「夜のゲーム」で李箱文学賞、1982年に「銅鏡」で東仁文学賞など国内の主要な文学賞を多数受賞。
2003年には長編小説『鳥』でドイツのリベラトゥール賞を受賞し、韓国人として初めての海外文学賞受賞であったことから大きな関心を集めた。『鳥』はドイツ語のほかフランス語、英語、ロシア語など10カ国語に翻訳されている。
普通の人々の暮らしににじむ社会の空気を静かな筆致で描き、韓国文学界で確固たる地位を築いている作家である一方で、寡作でもある。
その他の著書に、短編集『赤い河』、『風の魂』、『花火』、掌編小説『豚の夢』、『秋の女』、『活蘭(ファルラン)』、エッセイ『私の心の模様』(いずれも未邦訳)など。
邦訳に『夜のゲーム』、『金色の鯉の夢』(いずれも波田野節子訳、段々社)、『鳥』(文茶影訳、段々社)などがある。

訳者プロフィール
清水知佐子(しみず ちさこ)
和歌山生まれ。大阪外国語大学朝鮮語学科卒業。
読売新聞記者などを経て翻訳に携わる。
訳書に、朴景利『完全版 土地』、イ・ギホ『原州通信』、イ・ミギョン『クモンカゲ 韓国の小さなよろず屋』(すべてクオン)、キム・ハナ、ファン・ソヌ『女ふたり、暮らしています。』(CCCメディアハウス)など。
シン・ソンミ『真夜中のちいさなようせい』(ポプラ社)で第69 回産経児童出版文化賞翻訳作品賞受賞。

書誌情報
韓国文学の名作006『幼年の庭』
著:呉貞姫(オ・ジョンヒ)
訳:清水知佐子
判型:新書判 並製
2024年刊行予定
ISBN 978-4-910214-51-1