2026年5月22日から5月25日の日程で行われた「文学で旅する韓国――河東・梁山編」について、翻訳家の五十嵐真希さんによるレポートの後編をお届けします。
旅の2日目の午後にはサンチュサム出版社と河東書店に足を運んだ。
サンチュサム出版社は昨年のK-BOOKフェスティバルにも参加した出版社なので、ご存じの人もいるかもしれない。私の好きな「屋久島の詩人」山尾三省の韓国語版オリジナル詩選集をブースでみつけ、すぐに購入した。紙が牛の糞でできていた。ゾウの糞でできたリサイクルペーパーを見たことがあるが、牛ははじめてだった。

社長のチョン・グァンジンさんが私のことを覚えてくださっていた。訪れたところは素朴な古い2階建ての家屋で、職住が同じ空間にある。牛の糞の紙で山尾三省の詩をつくる素朴なセンスそのものの出版社。「もりのてがみ」(作・片山令子/絵・片山健)の韓国語版を出していて、旅の参加者の多くがこの絵本をその場で購入していった。チョン・グァンジンさんとソ・ヘヨンさん夫妻は、ソウルの大手出版社であるポリ出版社の元同僚だったそうだ。子供たち3人も両親の仕事を手伝い、近所の人たちもこの一家を支えている。共同体とともに次世代に何を伝えていくべきか、それを見極めている出版社だと感じた。
河東書店は廃校が利用されていて、日本語版の『土地』も全20巻並んでいた。店長はカン・ソンホさん。旅のはじまりから同行してくださっていたカンさんは、高校の教師をしていた1989年に国家保安法違反の嫌疑で拘束され、32年後に無罪が確定したという痛ましい経歴をもつ。座右の銘は「無財七施」。この言葉どおり、旅のあいだ「本がつなぐ縁の素晴らしさ」を熱く語りつつ、私たちにずっと穏やかな眼差しとにこやかな笑顔、あたたかな言葉を寄せてくれた。


夕食の後に、蟾津江の白く美しい砂岸で月見の宴が開かれた。地元の子どもたちによる「アリラン」の伽耶琴演奏やプロの歌手の歌が披露され、その素晴らしい数々の演奏の後に、「パランセヤ(青い鳥よ)」を合唱することになったのだ。

合唱指導者は、旅のコーディネートとガイドをしてくれたノルロワ(株)(“ノルロワ”は“遊びにおいで”という意味)のヤンさん。ヤンさん、歌も上手で、指導もノリもよく、散歩前の柔軟体操もピシッと美しい。月見の宴の司会もそつなくこなしていて、この人はただ者ではないと誰もが思った。「パランセヤ」を地元の人たちに披露するのも絶妙なタイミングであり、歌も旅路もヤンさんのおかげで滞りなくできたと言っても過言ではない。
後になってから知ったことだが、ヤンさん、ソウルの大学路で俳優をしていたそうだ。納得である。そして、旅行会社だとばかり思っていたノルロワ(株)が、河東の町おこしのための会社で、旅行だけではなく河東書店の運営、月見の宴までさまざまな業態に関わっていることがわかった。
河東でお世話になった方々はみなソウルからの移住組で、現代に「士人(ソンビ)」がいるとしたら、こういう人たちではないかと思うほど、品格と知性にあふれている人たちだった。
旅の3日目。朝から私はそわそわしていた。この日は、文在寅元大統領が店主を務める平山書房で詩人のアン・ドヒョンさんのブックトークが行われる予定であり、その司会をすることになっていたからだ。
平山書房のある梁山まで河東からバスで2時間ほど。5月24日は旧暦の4月8日、すなわち釈迦誕生日で国民の祝日。平山書房のそばには世界遺産の通度寺(トンドサ)があり、道路は色とりどりのランタンが飾られていて華やかだった。平山書房も建物の軒にぐるりとカラフルなランタンが連なっていた。
イベントはまず前半で、アン先生の40年にわたる創作歴や最近の出版物について、また詩と言葉について語っていただいた。

これまで韓国で2度ほどアン先生のトークイベントに観客として参加したことがある。YouTubeにもいくつかあるが、どのイベントも観客に朗読を促したり問いかけたり、観客が受け身となるイベントではなく、観客参加型のもの。笑いもあり、詩のたのしさを感じられていいなと思っていた。今回のブックトークも同じように進行したいとご相談し、後半では拙編訳の『あさみどりの引っ越し日』からクイズを出すことにした。挙手がなかったらどうしようかと心配だったが杞憂だった。みな積極的に発言してくれ、さまざまな深い解釈を聞くことができた。韓国では、詩人というだけで無条件に尊敬される。それだけ、
ところで、トークイベントの冒頭でも「パランセヤ」の合唱を披露した。アン先生のデビュー作のひとつが「ソウルに向かう全琫準」だからだ。合唱の途中で「どこで練習したの?」とこそっと訊かれたが、笑顔の先生に、『土地』のためにバスのなかで練習しましたとは答えられなかった。
アン先生のトークイベントの後、文在寅元大統領が登場された。このときも、「パランセヤ」を大合唱。微笑みながら聞いていただけたのは何よりだった。『土地』で日韓の人々が交流することの素晴らしさなどの話をされ、一人一人握手までしてくださった。テレビなどの画面でしか見たことのなかった元大統領が目の前にいるのだから、みな興奮しっぱなし。密度の濃い3日間の締めくくりにふさわしい、そして、ここまでのすべてのイベントの記憶をかき消してしまいそうなくらいに盛り上がった時間だった。
歌で始まり、歌で終わり、多くの韓国の人たちと交流できた今回の文旅。これまでのなかで最も充実していて、忘れられない旅となった。
(文・五十嵐真希)
