『「失格の烙印」を押された者たちのための弁論』(2018年)が複数のメディアで“今年の本”に選ばれ、
キム・チョヨプとの共著『サイボーグになる』(2021 年)も注目されているキム・ウォニョン。
彼が20代に執筆したエッセイ『希望ではなく欲望』を、クオンから2022年秋に刊行します。
日本語版の序文をここでご紹介します。
「綱の上で」
2021年秋、わたしは韓国最大の芸術大学(韓国芸術総合学校)の舞踊院〈科、コースに相当〉の大学院課程に挑戦しました。舞踊理論や公演企画を学ぶ専攻ではなく、ダンスの振り付けをして実際に上演する「創作科」です。ソウルを代表する劇場「芸術の殿堂」に隣接する舞踊院の建物で入学試験を受けました。朝8時に会場に入り、出てきたのは夕方6時でした。午前は教授との面接があり、午後は準備していったパフォーマンスを演じ、当日提示されたテーマに合わせて振り付けし発表しました。
わたしは骨形成不全症という難病を抱えて生まれ、それゆえ車椅子を使用し、背は低く身体の対称性が損なわれています。受験したときは38歳でした。発表の順番を待つ練習室で、ほかの受験生を観察してみました。ほとんどは20代半ばで、障害はなく、身体は左右対称で長い手足をしていました。トレーニングで鍛えた筋肉としなやかな身体で、空中で2回転して軽やかに着地します。車椅子から降りて床の上で身体を動かしていたわたしは、目の前の大きな鏡を見て急に不安になりました。とんでもないところに来てしまったと思ったのです。
哲学者オリヴィエ・プリオルの本で、1974年にニューヨークのワールドトレードセンターのビルの間を綱渡りで渡ったフィリップ・プティの話を読んだことがあります。プティは、400メートルを超える超高層ビルで綱渡りをする曲芸師にもっとも重要なのは、ためらわないこと、墜落を一瞬たりとも考えないことだと言います。違法行為なので警察の取り調べを受けるだろうし、人々から気が狂ったのかと非難されるだろうけれど、ひとたびやると決めたなら、自信を持って、ただゴールを目指して進めとアドバイスしています。オリヴィエ・プリオルはプティの姿勢をわれわれの行動指針とするよう勧めています。
人生を、高さ400メートルでの綱渡りにたとえて生きるのは難しいでしょう。けれど時には、似たような状況に陥ることがあるかもしれません。わたしは舞踊院の試験会場でまるで綱渡りをしている気分でした。壁一面の鏡に映る、自分の身体とほかの受験生の身体が同時に目に入ってきました。そのとき、もしほかの受験生や教授から自分がどう思われるかを考えてしまったら、鏡の中へと続く、底なしの屈辱の谷へと真っ逆さまに落ちていくのは目に見えていました。ダンサーとして生きてきた障害のない人たちの視線を完全にシャットアウトし、自分が準備してきた動きだけに集中しなければなりませんでした。ほんの一瞬でも「あの人たちに自分はどう映るのだろう」と意識してしまったら、その場で会場を飛び出していたかもしれません。
試験には不合格となりましたが、わたしは最後まで会場に残っていました。自分を突き動かす欲望のみに集中していたその時、その場所で、わたしは本当に久しぶりに、ずっしりと手応えのある不思議な楽しさを経験しました。この本には、障害者のための制度や法律がほぼ皆無だった時代の韓国社会で青少年期を過ごした、わたしをはじめとする障害者の人生や闘いが書かれています。障害者は人々から希望を持てと言われ、「希望のアイコン」のように語られたりもしました。けれど、一個人として持っている欲望を語ることはできませんでした。それを口にした途端、「人と同じように生きようなんて思っちゃいけない」という、日本風に言えば「迷惑をかけてはいけない」という批判を受けたのです。それを恐れるあまり、一人の人間としてみずからの欲望に向き合い、それを表出し、欲望のために闘うことに集中できませんでした。
それでも、日本の勇気ある障害者のように、韓国の障害者も目の前の綱だけに集中して一歩ずつ進んできました。はるか足の下では「それは人に迷惑をかけることだ」「そんなふうに出しゃばったら余計に見苦しい」と叫ぶ人々の視線が渦巻いていましたが、前に向かって少しずつ進んできました。改善すべきことはまだまだありますが、韓国も昔に比べると、いろんな面で障害者が社会で活動しやすくなりました。地下鉄やバスに乗り、政治にも参加し、映画や公演を観て、わたしのように無謀にもダンサーになろうとする者もいます。障害のある自分にとって2022年は、2002年よりはるかに望ましい世界ですが、いつの間にかわたしは綱渡りをしていたあの切羽詰まった気持ちを、人々の期待する「希望」ではなく自分の中にある欲望に切実に向き合っていた経験を、忘れかけていました。そんなとき、舞踊院の試験会場で、自分が中学校に入学し、初めて地下鉄に乗り、デートをし、障害者の人権運動を経験したときに感じていた、あの綱の上の感覚を再び味わうことになったのです。
この本は、人生の綱渡りの秘訣を紹介するような自己啓発書ではありません。綱渡りをするくらいの勇気を出さないと社会の構成員として認めてもらえなかった人たちについての証言です。20代だったわたしは証人としてこの本を書きました。
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日本のみなさんと出会えてうれしく思います。韓国と日本は時に政治的に対立し、互いに嫌悪感を抱いている人もいるようです。ですが、障害のあるわたしにとって両国は、少数者への不当な差別に立ち向かうため知識や経験を分かち合い、協力し合ってきた連帯の共同体でもあります。
両国の市民のあいだには、簡単には解消できない歴史的な経験や記憶の差異があるでしょう。ですが同時に、非常に多くの部分で協力し理解し合える共通の経験とアイデンティティも持っています。何より、一人の固有の存在として勇敢に生きていくことを夢見つつ、自分たちの欲望を不穏で不当なものと非難する力に立ち向かおうとしているという点で、互いに連帯すべきことはとても多いはずです。本書は2010年に刊行されてから多少時間は経っています。けれど、人間として闘い、踊り、欲望するようみずからを駆り立てるものを求めて時には綱渡りもしなければならない人生は、これからも続いていきます。よって、本書が読者のみなさんの心に届くものと信じています。
ソウルにて キム・ウォニョン
(翻訳 牧野美加)
キム・ウォニョン(金源永)
1982年生まれ。骨形成不全症のため14歳まで病院と家だけで過ごす。
小卒認定試験に合格し、障害者向け特別支援学校の中学部、一般の高校を経て、ソウル大学社会科学部社会学科を卒業。同大学ロースクール卒業後、国家人権委員会で働く。
現在は作家、パフォーマー、弁護士として活動している。
著書に『「失格の烙印」を押された者たちのための弁論』(仮題、小学館より邦訳刊行予定)、共著に『人文医学』、『サイボーグになる』(仮題、岩波書店より邦訳刊行予定)がある。
演劇「愛と友情における差別禁止及び権利救済に関する法律」、「人情闘争―芸術家編」などに出演した。
車椅子ユーザー。
ヘッダー写真 ©ソウル文化財団