金玲珠さんを偲んで

大河小説『土地』の著者、朴景利<パクキョンニ>さんの長女で、土地文化財団(京畿道<キョンギド>原州<ウォンジュ>市)の理事長、金玲珠<キムヨンジュ>さんが2019年11月25日に亡くなりました。73歳でした。dhd1sdsvmaeqp2g

金玲珠さんは、1946年生まれ。2008年に他界した朴景利さんに代わり、11年間にわたって土地文化財団の理事長を務めました。2011年には朴景利文学賞を制定し、第1回は韓国の小説家で『広場』(吉川凪訳、クオン)などの著者、崔仁勲<チェイヌン>さんが受賞しました。同賞は、韓国初の世界文学賞と定められ、その後も毎年継続しており、ロシア、米国、ドイツ、イスラエル、ケニアなど世界各国の作家が受賞しています。

また、金玲珠さんは、2010年に朴景利の文学精神を称える「朴景利文化祭」をスタートさせました。さらに、ロシアのサンクトペテルブルク大学と良好な関係を築き、2017年には、東洋学部で朴景利の文学講座開講を実現させるなど、積極的に韓国文学の発展と普及に努めてきました。今後は、金玲珠さんの次男で土地文化館長の金セヒさんが理事長に就任し、祖母と母の遺志を引き継いでいくそうです。

土地文化財団が運営する土地文化館は、朴景利さんがかつて住んでいた原州市丹邱洞<タングドン>の自宅周辺が再開発地区となり、原州市梅芝里<メジリ>に引っ越したのに伴って一九九九年に建設された文化施設です。文学祭、百日場<ペギルジャン>(青少年を対象とした作文コンテスト)、文学紀行のほか、文化全般に関連した各種セミナーなどが開催されています。

2001年からは、文学や芸術にかかわる人たちを対象に創作室を無償で提供する「レジデンス事業」も行っています。これは、朴景利さんが後進作家育成のために始めたもので、『新女性を生きよ』(朴福美訳、梨の木)の著者、朴婉緒<パクワンソ>さんや『美しさが僕をさげすむ』(呉永雅訳、クオン)の著者、ウン・ヒギョンさん、『春の宵』(橋本智保訳、書肆侃侃房)の著者、クォン・ヨソンさんをはじめ、国内外から毎年大勢の小説家、翻訳家、脚本家、芸術家らが訪れています。山に囲まれた静かな環境で集中して執筆・制作に取り組めると人気で、そこで規則正しい生活を身に着けて帰る人も少なくないとか。2015年8月に筆者が、共訳者の吉川凪さん、編集者の藤井久子さんと共にあいさつを兼ねて同館を訪問した時もたくさんの作家たちが滞在中でした。

朝鮮日報ウェブ版(2019年11月26日付)によると、金玲珠さんは、延世<ヨンセ>大学の大学院で仏教美術を研究していました。研究資料として仏画を集めるために慶尚南道<キョンサンナムド>を訪れた際、娘を心配した朴景利さんが同行し、そのとき目にした河東<ハドン>・平沙里<ピョンサリ>の風景が『土地』の舞台となったといわれているそうです。

金玲珠さんは、2016年11月に慶尚南道・統営<トンヨン>で、2018年6月に東京・四谷の韓国文化院で開催された『完全版 土地』の出版記念会にも出席されました。特に、東京の時はあまり体調が思わしくなかったにもかかわらず来日し、力強くて印象的なスピーチをしてくださいました。

忘れられない、金玲珠さんの「手」の思い出が二つあります。一つは統営で、私が手渡した刊行したばかりの『完全版 土地』の表紙をいつまでもいつまでも、慈しむようになでていたこと。もう一つは、東京での出版記念会を終えて羽田空港で見送った時、「翻訳作業がつらくなったらいつでも創作室にいらっしゃい」と言って、別れの間際まで名残惜しそうに手を握っていてくれたことです。その手がとても温かく、なぜかふと、会ったことのない朴景利さん本人と手を取り合っているような不思議な気持ちになったのを覚えています。

近いうちに金玲珠さんが好きだという日本の漬物をお土産に持って土地文化館を訪ねていこうと思いつつ、先延ばしにしてしまったことが悔やまれます。全20巻の完訳を見届けていただけると思っていただけに、こんなに早くお別れすることになってしまい、残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。

『完全版 土地』翻訳者 清水知佐子

写真:「『土地』日本語版出版記念会」(2018年6月、東京にて)でスピーチをされた金玲珠さん

2019-12-24 (火)

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