『土地』とは?

『土地』は「悲しみだった」――朴景利の言葉

朴景利は第一部を執筆中の1971年8月、乳がんと診断されて手術を受け、退院後に執筆を再開して1973年に第一部を完成させた。その「自序」で次のように述べている。

「退院したその日から、胸に包帯を巻いたまま『土地』の原稿を書いた。百枚書いたところで、自分の執拗さが恐ろしくなった。どうして私の生は、氷壁にかかったザイルのように、これほどぴんと張りつめているのだろう。どうして私の背中は、積み重なる妄想の重みに、こんなに曲がってしまったのだろう。私は呪いをかけられた罪人なのか。私の中で、生と文学は、切り離すことのできない不気味な双頭児だったのだろうか」

朴景利はこの葛藤を抱えながら『土地』を書き続けた。完結から8年を経た2002年、再版に当たっての「自序」には、平沙里を訪れたことに触れて、次のように書かれている。

「ここを『土地』の舞台にしたのは、なぜなのだろう。(中略) 30年過ぎてから作品の現場で、私はようやく『土地』を実感した。悲しみだった。世に生まれ、生をつなぐことの悲しみだった」

 

『土地』というタイトルについて

『土地』の原題は日本語のタイトルと同じ漢字語で、ハングルでは『토지[トジ]』と読む。『땅[タン](固有語で「土地」の意)』でも『흙[フク](固有語で「土」の意)』でも、『大地[テジ]』でもない。著者(朴景利)によれば、この作品のタイトルが『土地』でなければならない理由は、土地という単語が権利文書を連想させ、「所有」の概念に結びついているからだという。土地が誰かによって所有されたとたん、人々の間に格差や対立が生まれる。それは地主と小作人の対立にもなり、あるいは国家間の対立にもつながるのだろう。「土地」という言葉は、人間の持つ原初的な欲望と、それによって引き起こされるさまざまな葛藤を暗示している。

 

『土地』の概要

朝鮮王朝末期、政治を担う者たちの間で主導権争いが続き、その混乱につけ込んで侵攻する列強や日本の存在と、甲午農民戦争(東学の乱)など民衆による抵抗運動は、国内の混乱に拍車をかけた。混沌とした社会情勢を背景に、物語は1897年に始まり、日本による植民地支配を経て、1945年の「解放」の日(8月15日)に終わる。朝鮮半島の近代史を経糸に、その時代に翻弄されるさまざまな立場、職業、境遇の人々の日常から生まれる愛と恋、葛藤、悲しみ、喜び、苦難を緯糸に織り成される壮大なタペストリーともいえよう。

小説の舞台は朝鮮半島の南端に近い慶尚南道[キョンサンナムド]河東郡[ハドングン]の農村・平沙里[ピョンサリ]から、間島[カンド](現在の延辺朝鮮族自治州一帯)へ移り、後半では朝鮮半島に戻る。

物語の軸となる崔西姫[チェソヒ]は平沙里の大地主・崔家の一人娘である。崔家の財産を奪おうという陰謀が巡らされ、数奇な運命によって天涯孤独の身となった西姫は、崔家の使用人や平沙里の農民たちをひき連れて間島へ移り住む。西姫はそこで商売をして財産を増やし、再び故郷に戻って崔家の土地を取り戻すことを誓う。

朴景利は西姫を悲劇のヒロインとして描いているのではない。気が強く、才覚のある一方で、感情表現がうまくできない西姫の抱える孤独は切ない。さまざまな登場人物が時代の荒波にもまれながら生きる姿は、叙情を排した筆致で克明に描かれている。すべての人間が業として抱える嫉妬や猜疑、邪悪さといった負の面を暴きだす一方で、日々の暮らしの中で助け合い、互いを思いやる人の優しさ、温かさも細やかに語られる。そして貧しい農民の間にも、結ばれぬ運命に逆らおうとする苦しい恋や心に秘めた恋があり、四季折々に変化する美しい自然の景観とともに、物語を彩っている。

 

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『土地』完訳プロジェクトについて

 

toji-no01-20『土地』は韓国の女性作家の草分け的存在であり、デビュー当時から高い評価を受けてきた朴景利の代表作である。1969年から94年まで25年にわたって書き継がれた、韓国現代文学における最大の大河小説であり、最も優れた作品の一つにも数えられている。
400字詰原稿用紙に換算すると1万5千枚を超すこの大著は、韓国でロングセラーとなっただけでなく、映画化、テレビドラマ化された。また全編をダイジェストした青少年版が2003年に刊行され、2015年には原書を忠実に描いた漫画版「土地」が完結した。
大河小説『土地』は第一部から第五部までで構成されており、そのうち第一部は英語、フランス語、ドイツ語、中国語、日本語に翻訳されている。このことは、『土地』が人間社会の普遍的なテーマを描いた作品として評価されたことを意味する。残念ながら、全編の翻訳はいずれの言語でもまだない。
日本語訳としては、第一部だけが1983年から86年にかけて『土地』(福武書店)8巻として刊行された。また青少年版が2011年に『土地』(全6巻・講談社)として出されている。
このたびクオンでは、大河小説『土地』全20巻の翻訳・出版プロジェクトに着手した。
時代や地域を問わず、文学作品はその背景にある社会と文化への理解を深める手がかりとなってきた。クオンの「新しい韓国の文学シリーズ」で取り上げられているのは2000年以降に書かれた作品で、舞台が韓国であることを意識せずとも読める作品が多い。その点で『土地』は「新しい韓国の文学シリーズ」の作品とは異なるが、『土地』の主題は時代や国を越えて共感しうるものである。文学作品として楽しんでいただくとともに、韓国の近現代社会と文化への関心と理解も深めていただけることを願っている。

クオン代表 金承福

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