監修者・訳者のことば

『完全版 土地』刊行に向けての想い(監修者 金正出)

私が2014年4月に茨城県の筑波山の麓に寄宿型中高一貫校「青丘学院つくば」を開校してから3年近く経過しました。当初は在日同胞の子弟が中心でしたが、今では、韓国からの留学生や日本人学生も一緒に机を並べ、日・韓・英の3カ国語を学んでおります。%e5%9c%9f%e5%9c%b0%ef%bc%91-%ef%bc%93%e5%b7%bb
その生徒たちに朴景利氏の最高力作である小説『土地』を読んでもらおうと、私の友人である金容権氏に翻訳を依頼し、2011年3月に『土地 青少年版』を講談社から出版いたしました。しかしながら青少年版では若干物足りなさを感じていたのも事実でした。ちょうどその頃、株式会社クオンの金承福氏と会って、『土地』の完全版の翻訳をぜひとも自分の手で成し遂げたいとの熱い想いを聞くことができました。

小説『土地』は朝鮮王朝末期から1945年8月15日に日本の植民地から解放されるまでの朝鮮半島、旧満州そして日本を舞台に描かれた物語です。一般庶民の目から見た当時の状況が生き生きと描かれ、韓国民衆の土着の思想、韓国人特有の情念が活写されています。私はこの小説を通して、在日同胞並びに多くの日本の読者に我が国の歴史や文化に対する理解を深めて欲しいと思っております。
以前に福武書店が完全版の翻訳を試みて、途中で挫折した経緯があります。著者の朴景利氏はこの小説の中で方言や多彩な言葉や表現を駆使しており、韓国人でも読むのにひと苦労するそうです。この難解で手のかかる小説の日本語訳が果たして可能であろうかと密かにに心配していたところ、クオン版で翻訳を担当する吉川凪さん、清水知佐子さんにお会いする機会がありました。後日その訳文のゲラ刷りを一読し、洗練された日本語訳に私はとても感心しました。

話が少々飛びますが世界各地に居住しているユダヤ人がユダヤ教を心の拠り所として活躍しているのは皆さんご承知のとおりと思います。果たして我が韓民族はどうでしょうか? 韓半島は2つの国家に分断され、未だに国の再統一はなされておりません。随分と昔から韓民族は世界各地に移住し、今では南北併せて人口の一割、約700万人が移住先でたくましく生活しています。しかしながら世界中に散在している韓民族を一つに束ねる心の拠り所がありません。儒教がそれに相当しますか? 残年ながら、韓国は中国で発祥した儒教を本家以上にやりすぎたため、国は腐敗弱体化し、結局は外国の植民地に転落してしまいました。しかし私たち韓国人には、世界に誇るべき独自の言語「韓国語」があり、またとても魅力的で活力にあふれた韓流をはじめとする文化を育んできました。韓民族は世界どこに居住しようと、韓国語と独自の文化で一つにまとまりうると確信しております。国家の興亡によりその国の言語や文化が消長すると聞いております。このところ韓半島が緊張状態にありますが、近い将来国の再統一がなされ、韓流を始めとする韓国文化が世界中に拡がり、もっともっと多くの人々が韓国語に関心を持ってくれることを夢見ているこの頃です。

朴景利氏の小説『土地』には多彩で表現力豊かな韓国語がふんだんに使われております。そのような意味で韓国文学の最高峰に位置付けられている小説『土地』完全版の日本語訳を、クオンの金承福氏とともに出版できるということは、私にとってこの上ない名誉であり喜びであります。小説『土地』の英語版、中国語版、ロシア語版も各地で進行していると聞いております。小説『土地』の外国語訳がもっと早く世に出ていれば朴景利作家が当然ノーベル文学賞の有力候補になっただろうにと惜しまれます。この意義ある事業が無事完了できることを心より願ってやみません。

作家を超える小説『土地』(翻訳者 吉川凪)

晩年の朴景利さんを、一度だけ見た。2002年11月、韓国・原州の土地文化館で行われた日韓文学シンポジウムを裏方として手伝っていた時のことだ。dsc01776ああ、あれが朴景利かと思っただけで、十数年後にその大河小説『土地』を訳すことになるなど、もちろん思いもしなかった。日本では以前、明治生まれの人に対して、「明治の気骨」という言葉がよく使われた。朴景利さんは1926年生まれだから日本で言うと大正の末で明治ではないが、その時の姿は、なんだか気骨が手作りの服をまとって現れたような感じだった。気骨は作家たちに挨拶の言葉を述べて、すぐ出ていった。

朴景利さんはテレビのインタビューで、自分の作品が外国語に翻訳されることには興味がないと語ったことがある。しかし、日本語だけは別だったようだ。『土地』第一部から五部のうち、第一部だけは過去に福武書店から日本語訳が刊行されたことがあるのだが、途中で翻訳者が交代しているのは、どうやら、朴景利さんと翻訳者である安宇植さんが翻訳文をめぐって対立したあげく、安さんが途中で投げだした結果であるらしい。日本の植民地であった韓国に生まれ育ち、教養のかなりの部分を日本語の本によって培った作家は、日本語にだけは非常な愛着を持って固執していた。1巻の最初の方だけだが、作家自ら日本語訳を試みた原稿も残されているほどだ。朴景利さんと安宇植さんの間にどういう言葉が行き交ったのかは、今となっては知りようもない。

もし朴景利さんが今回の日本語訳を見たら、どう言っただろう。それは定かではないけれど、クオン版は福武版よりも、格段に読みやすくはなっているはずだ。安宇植さんの訳では、農民たちが日本各地の方言を混ぜたヌエのような言葉をしゃべっていたが、今回の翻訳では方言的な表現をほとんど廃した。方言のニュアンスなど、しょせん原文でないと味わえないものだし、何せこれは全二十巻の大河小説なのだ。読み通してもらうためには、なるべく読者のストレスを減らしたいと思う。

今回のクオン版『土地』の翻訳は、全体としては共訳という表現もできようが、実際には1巻は吉川、2巻は清水と分担して個別に作業をしており、それぞれに責任を負う。ただし、用語、表記、文体に統一性を持たせるため一覧表を作り、編集者、校正者にも参照してもらっている。編集には藤井久子さんが一貫して携わって文章のチェックに目を光らせているし、時々編集会議を開いて綿密な協議を重ねているから、巻ごとに翻訳者が交代しても読者に混乱を与えることはない。

第一部は1巻から4巻で完結する。第一部では、日本はまだ遠景に退いていて、村の人々は身分制度からくる軋轢、凶作、疫病に苦しんでいる。第二部からは、侵略者としての帝国日本の影が圧倒的に大きくなるだろう。

朴景利さん自身が「私は反日作家」だなどと言ったりしたこともあって誤解されやすいのだが、作家は、ある単一の視点からこの大河小説を描いてはいない。それは、読んでみればわかる。ひょっとしたらこの作品は、ひとりでに作家を超えてしまったのかもしれない。そして、自分の意識よりはるかに大きな何ものかを書いてしまうのが、天賦の才というものなのだ。

『土地』は、身分違いの恋や、財産を狙った謀略といった韓流ドラマのような要素もたっぷり盛り込まれた波乱万丈の物語で、一度読み始めたら続きが気になって仕方がなくなるはずだ。まずは小説として楽しんでいただければと思う。

『完全版 土地』出版記念会におけるごあいさつ(翻訳者 清水知佐子)
(2016年11月21日 統営にて)

dsc01654-1ヨロブン、アンニョンハセヨ。翻訳者として「土地」の日本語版完訳プロジェクトに参加させていただいております清水知佐子と申します。このたびは、このような形でみなさまにごあいさつできる機会をいただき、感謝いたします。
まず、私と『土地』との出会いについてお話したいと思うのですが、私が朴景利先生の大河小説、『土地』を初めて手にとって見たのは、約2年前、2014年10月のことでした。このたび『完訳版土地』を刊行した出版社、クオンが主催する「パジュツアー」に参加したのですが、そのときに泊まったのがパジュ出版都市の中にある紙之郷ホテルでした。紙之郷ホテルは、ご存知の方も多いと思いますが、部屋ごとに作家の名前がついていて、各出版社の協力でその作家の方々の作
品が本棚に並べられています。例えば、パク・ワンソ、コ・ウン、キム・フン、パク・ポムシンなどです。そんな中、私の部屋は、朴景利先生の部屋だったのですが、先生のお写真が何枚か飾られていて、マロニエブックスから出版された『土地』全20巻がずらりと並んでいたのを覚えています。手に取ってパラパラとめくりましたが、そのときは、何だか難しそうだなという印象でした。漫画版も何冊かありました。ツアーでご一緒した方に、私の部屋が朴景利先生の部屋だと話すと、とても羨ましがられたのを覚えています。

翻訳を始めるにあたって、まず、作品を読むのはもちろん、作品に対する評価などを調べました。すると、文学作品として高く評価されている一方で、「反日小説」であるとか、朴景利先生は「反日作家」だと穏やかでない言葉が次々と出てきました。翻訳のお話をいただいたのは2015年3月で、ちょうどそのころ、日本では「嫌韓」ムードが高まっていたので、この時期にあえて翻訳本を出すのはどうなのか、翻訳したところで読んでもらえるだろうかといろいろ悩みました。

そんな不安を抱えつつも、取りあえずやってみることを決断し、その年の夏の終わりには、共訳者の吉川凪さん、編集者の藤井久子さんと3人で踏査旅行に出かけました。まず、ソウルで土地学会の前会長でいらっしゃるチェ・ユチャン先生にお目にかかり、「『土地』を反日小説だと見る人がいるが、先生のお考えはどうか」と率直に伺いました。作家本人に何度もお目にかかり、長年、『土地』を研究してこられたチェ・ユチャン先生の答えは、「この小説の時代背景のほとんどが日本に統治されていた時代であり、登場人物が日本を批判しているからといって、必ずしも反日小説ではない。人間を敬うことが天の教えに従うことになるのだという東学の考え方がこの作品のメッセージであり、人を恨んだり、復讐したりすることをすすめているのではない」ということでした。詳しくは、土地の公式サイトにありますのでご覧いただければと思います。もちろん、今日、この場でチェ先生に直接聞いてみてくださってもよいかと思います。とにかく私は、これを聞いてとても勇気づけられましたし、この小説を翻訳してみたいという気持ちが膨らみました。

同時に、生前の朴景利先生にお目にかかれていたなら、翻訳作業がどんなに楽しく、心強かっただろうという思いもよぎりましたが、残念ながらそれは叶いません。そこで、朴景利先生の息遣いや『土地』をはじめとする執筆活動に対する思いを少しでも感じるために、江原道の原州へと向かいました。そこでは、朴景利文学公園を訪ね、先生が暮らしていらっしゃった家や書斎を拝見し、3万枚を超える原稿用紙に綴られた直筆原稿を目の当たりにしました。先生が愛用されていたミシンや手作りの服、畑仕事のときに使われていた鍬や手袋、愛用の万年筆と国語辞典など、さまざまな展示物も見て回りしました。また、生前に撮影されたインタビュー映像も拝見し、人の命というものを平等に尊重し、とても丁寧に生きることと向き合っていらっしゃった方なのだなと強く感じました。

朴景利先生が後進の作家たちの創作活動のために建てられた「土地文化館」にもお邪魔し、一晩泊めていただきました。キム・ヨンジュ理事長にもお目にかかり、土地全20巻の日本語版を出すにあたって、何か望まれることがあればぜひ伺いたいと申し出ました。キム・ヨンジュ理事長からの答えは「原文に忠実な翻訳であるよりも、『土地』の文学性を生かすような翻訳をお願いしたい」とのことでした。それは、『土地』が1980年代に日本語に、1990年代以降、フランス語、英語、ドイツ語、中国語に翻訳出版されていく中で、朴景利先生が願っていたことでもあるとのことでした。私もそれには強く共感しましたので、深く胸に刻んで東京に戻りました。原州から東京に戻る前に、明日、日本から一緒に来たみなさんと共に出かける河東・平沙里の崔参判家のロケ地にも行きました。ドラマ用に作られたものではありますが、一角には実際に住んでいる方もいると聞き、また畑で採れた野菜を道端で売っているおばあさんもいて、人の温もりが感じられる場所でした。わらぶき屋根の上に実っているひょうたんの実や、坂道の上にある崔参判家から見下ろす蟾津江の豊かな流れとその周りに広がる田畑を見て、小説の中に描かれている情景がぐっと浮かび上がってくる気がしました。短い4日間の短い踏査旅行でしたが、その後、翻訳をするにあたってとても役に立ったと思います。

この出版記念会には来られていないのですが、さっきも少しお話しましたとおり、今回の『完全版 土地』の翻訳は、吉川凪さんとの共訳で始めました。一口に共訳といっても、いろいろとやり方があるかと思うのですが、今回、スタートにあたり私たちは、1巻を吉川さん、2巻を私と分けて作業をしました。そのやり方だと、文体などをそろえるのが難しくないかと度々聞かれますが、用字用語や文体を統一するために、編集者の藤井さんも含めて編集会議を重ね、漢字とかなの使い分け、登場人物のキャラクターに合わせたしゃべり方や一人称の使い方など、丁寧に話し合いました。登場人物の氏名については、原作には人物事典がついていますので、その中に漢字で表記されているものはそれにならいました。今日、訪問した朴景利記念館で、朴景利先生が日本語で『土地』を書いた原稿をご覧になったかと思いますが、その中で使われている名前の漢字も参考にしました。カタカナを減らして読みやすくするために、翻訳者と編集者で漢字を当てた名前もあります。

方言の扱いについても話し合いました。『土地』には慶尚南道・河東を中心とする方言が多く出てきますが、基本的に標準語で訳すことにしました。その理由は、例えば、慶尚南道の方言はよく大阪弁、関西弁に訳されると言います。それによって都市ではなく、一地方の物語なのだということが伝わりやすいというメリットはあると思うのですが、読者が大阪、関西のイメージに強く引っ張られてしまうという懸念があります。1980年代に福武書店から刊行されたものは、日本の各地方の方言が混じった言葉遣いになっていましたが、それはそれでまた読みづらいのではないかということになり、基本的には標準語とし、登場人物の身分、職業や年齢、性別、性格などによってしゃべり言葉や一人称などを若干変えるにとどめました。文体については、翻訳が先行している1巻の原稿にならい、また編集者と相談しながらまとめていきました。もしかすると、1巻、2巻と読み進めるうちに、1巻の方がよかった、読みやすかったということがあるかもしれませんが、吉川さんは私にとって大先輩です。私の翻訳も、巻が進むにつれてだんだんよくなっていく予定ですので、その部分も楽しみにしながら20巻までお付き合いいただければうれしく思います。

先週、日本による統治時代に少年期を過ごしたという韓国人男性にこの出来上がったばかりの本を差し上げる機会がありました。その男性は「書物は、ハングルばかりのものよりも漢字が混じっている方が読みやすい。植民地時代の悲しい遺産だ。『土地』も何度か原書を読みかけたことがあるが、途中で挫折してしまっていた。この日本語版完訳プロジェクトのおかげで、最後まで読めるかもしれない」とおっしゃいました。大変胸の痛む言葉でしたが、激励とも受け止めて20巻の最後まで翻訳していければと思います。

今後ともみなさまの温かいご支援をよろしくお願いいたします。

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