Book Review『火葬』(金薫著・柳美佐訳)

Pocket
このエントリーをはてなブックマークに追加


Book Review
生の確かさと曖昧さ/「女」へのまなざし

日本語と韓国語を同時に味わえるクオンの「きむふなセレクション 韓国文学ショートショート」の18巻目に、金薫(キム・フン)の代表短編『火葬』が加わった。金薫は元新聞記者で、国民日報、韓国日報、ハンギョレ新聞などを経て京郷新聞では編集局長まで努めた。一文が短い平易な語りや、事実を積み重ねてゆく描写はいかにも記者出身らしい。

『刀の詩』などの歴史長編でベストセラーを記録しているが、短編「火葬」は生死という普遍的なテーマを扱っている。2004年、日本で言えば芥川賞にあたる純文学の登竜門「李箱文学賞」を受賞した作品で、2015年には林権澤(イム・クォンテク)監督、安聖基(アン・ソンギ)主演で映画化されている。

54歳の主人公は大手化粧品会社の常務で、脳腫瘍を患った妻を看取る。晩年の妻はほとんど食事を受け付けずに痩せ衰え、男は妻が垂れ流す未消化の排泄物の処理をしながら、若い女性社員の肉体を思う。その内臓や毛細血管を流れる血液までを思い、やがて妊娠し新しい生命のために成熟していく彼女に強く惹かれていく。死に向かう妻を前にした男にとって、それは恋愛感情を超えた生への希求だった。

男は妻に向き合う理性と、女性社員へ抑えがたい愛着を「自白」したいほどの本能の間で揺れ、その両極で行き場を失ったように尿道が詰まり、前立腺炎に苦しむ。女性社員の肉体を思うたび、手の届かない現実に耐えきれずに自分の体に触れ、その身体感覚こそが確かであることを確認するのだった。妻の最期にあって、男は女子社員の名を胸の内で反芻する。一方、妻の名前はもちろん男の名前も出てこない。この「確かさと曖昧さ」の対比は、作中を通して繰り返される。

作品は一貫して「女」という存在に焦点を当て、イメージとしての女性像についても語られる。タイトルの「火葬」は韓国語読みでは「ファジャン」。「化粧(ファジャン)」と同音異語だ。妻と死別した男の元には、化粧品会社の社員たちが新製品のカラーメイク商品の広告の相談にやってくる。「女らしさ」のイメージの分析の末、宣伝文句で意見が分かれる。イメージは「スモーキー」に、しかし表現は「クリアに」とすべきだ、と。化粧品業界で「スモーキー」といえば、コリアン・メイクに興味がある人ならピンとくるかも知れないが、韓国で大流行した「スモーキーメイク」を思い浮かべてしまう。くすんだ色調で陰影をつけ、アンニュイな印象を与えるメイクだが、本格的な流行は2010年代からなので、作品発表時、作家はこの言葉を意識して書いたのかは分からない。いずれにせよ、この場面も「確かさと曖昧さ」の対比のひとつになり、女らしさのイメージがいかに曖昧で、いかに作られ、どのような眼差しのもとに認識されていくのかを考えさせるシーンだ。

金薫は「火葬」が映画化された際の会見で、こう述べている。「生老病死は個別にあるのではなく、一瞬のうちに入り乱れている。そう悟ることで、私たちは生に対して敬虔になれる。私たちは今、生への敬虔さを失っている。それを伝えたくて書いている。死が生の中にあることに気づくことで、生の尊さを回復してほしい」。死の存在で生はより尊く、確かなものになるのだと。

作家は生と存在を見つめ創作を続けてきたが、一部では「女性嫌悪」「淫乱」などとして批判の対象にもなっている。本作でも妻の瘦せこけた性器や、女性社員の娘の口内を産道に例えた描写など、随所で女性を「産む性」として強調し、また化粧品の広告を語る場面でも女性を「見られる性」として描いている。精緻な肉体描写の反面、登場する女性たちの人格や内面についてはほぼ語られず、女子社員や男の娘がともに夫の転勤や留学で渡米してしまうなど、女性の人生や幸せの形が枠にはめられてしまっている。金薫作品への批判は、韓国社会が女性に向けてきた視線への問題提起だといえる。

短編「火葬」はさまざまな意味で、読み返すたびに発見がある。日本語訳は端正な文体の魅力をそのままに伝え、「ショートショート」セレクションの中でも日韓の両テキストを対照して読むのに特に適した一冊だ。両言語の間に配置された「訳者解説」も、読後の余韻を損なわずに作品世界をより深く知る手引きになっている。

評者=平原奈央子(西日本新聞社)


『火葬』
金薫 著/柳美佐 訳
ISBN 978-4-910214-46-7
2023年4月刊行
価格 ¥1,320(本体¥1,200)
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784910214467