作家インタビュー 黄晳暎(ファン・ソギョン)

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『たそがれ』には、社会的に成功した60代の建築家パク・ミヌと、さまざまなアルバイトを転々としながらどうにか生きている貧しい20代の演劇演出家のチョン・ウヒが語り手として登場する。章が変わるごとに互いの話が交互に語られ、やがて一人の人を通して、ひとつの空間で二人は出会う。パク・ミヌの初恋の人チャ・スナ、そしてサンドンネ〔都市の丘や小山の斜面に張りつくように形成された貧民街〕の立ち退き対象の町。

作家黄晳暎は『たそがれ』について、当初から若い世代に向けて書いた小説だと説明している。開発独裁を黙認し、便乗することで「豊かになった」かつての世代たちの秘めた悔恨をえぐり、その清算されないままの過ちのために不本意な生き方をせざるを得ない若い世代たちの現実を、まるで映画のシーンのように見せている。既成世代〔60年代に生まれ、80年代に大学生活を送った世代。独裁政権時代には民主化運動をおこなうなど、韓国の政治が変化するのに大きな役割を果たしてきた〕には彼らの残した過去の過ちへの省察をうながし、青年世代には「N放世代」〔すべてをあきらめて生きる世代〕のような屈辱的なレッテルを押しつけられたまま生きていくのかと問いかけている。

習慣化された諦念と冷笑を成熟した態度と考える今日の人びとに、70代のベテラン作家が投げかけた物語のテーマは鮮明だった。「ミヌのこと、ちょっとは愛してくれたらよかったのに」(邦訳165ページ)という、作品中のチャ・スナの言葉に私たちはどう答えることができるだろうか。この小説を読んだ後では、街路樹の根元に生えたネコジャラシが昨日とは違った姿になって私たちに迫って来るだろう。

(初出:2015. 11. 27 インターパーク ブックDB/インタビュアー:ブックDB 記者チェ・ギュファ/翻訳:趙倫子)


全泰壱*の雇用主が流した悔恨の涙が『たそがれ』のモチーフ

*韓国の労働運動家の象徴的な存在。1970年に東大門市場にある平和市場内の縫製工場の劣悪な労働実態に抗議し、焼身自殺を図った。当時22歳だった。

Q.今回の作品は長編というには少し短いような感じもします。

「中編」と言いましょうか。中編は現代人の生活リズムの中から出てきたものです。通勤の地下鉄の中で読むだとか、週末に郊外に出て子供たちと遊んでやりながら、夫婦がそれぞれ本を一冊読むだとか。長々と書き連ねる手法は今ではもうすっかりなくなりました。長く描写することはしません。イメージだけを伝えるのです。この小説は映画のシナリオのように書き始めたんですよ。映画のシーンを描くように書きました。映画の画面が変わっていくように場面が重なりながらスピード感を持って過ぎていくのです。この小説を読み終えたら映画を一編見たような気分になるでしょう(笑)。

Q.60代の建築家パク・ミヌと20代の演劇家チョン・ウヒが語り手として交互に登場します。私はやはり若いチョン・ウヒに感情移入しながら読んでいました。

この小説は最初から若い世代のための小説という意図がありました。語り手パク・ミヌは60代の父親世代ですが、その世代のための小説ではないのです。彼らが行ってきたことの報いとして与えられた現実を今の若者たちが生きていますよね。批判的な視線から既成世代を描いたのです。二つの世代の物語が並行して進みながら、最終的にひとつの空間で出会うことで過去と疎通する形式の小説と言えますね。

Q.パク・ミヌもパク・ミヌですが、作家と40年以上の年齢差のあるチョン・ウヒという人物の生き方について実に詳しく描写されているのが印象的でした。取材の過程がどのようなものだったのか気になりました。

それは作家の力量でしょう(笑)。私がよく行くカフェにひとりの若者がいます。ある時私が財布を無くしてしまったんですが、その若者が届けてくれたことがあって、それで親しくなりました。アルバイトをいくつもしてきたフリーターのベテランだったんですよ。彼に一度酒をおごって、長い時間楽しく話を聞きました。彼の友人たちの暮らしぶりについてもたくさん聞きましたよ。いろいろ考えさせられるところもあり、取材を通してよくわかったところもあります。

Q.パク・ミヌを建築家に設定したのはどのような理由からでしょうか。

開発独裁の近代化の過程は都市化の過程でもありますが、その核心は都市貧民街の処理問題にありました。私たちもその問題を推し進めてしまったと言えます。そこに暮らしていた人びとは、ふたたびどこかで都市貧民として暮らし続けていかなければなりませんでした。その点は今でも現在進行中ですね。そんな「追いやられた人びと」の人生がパク・ミヌにはありません。彼自身はそこからうまく抜け出し、自分が暮らしていた町をすっかり押しつぶし、隣人たちを消してしまうことで成功したのですね。それは70、80年代中産階級が持っているトラウマであり、悔恨です。そしてサンドンネで出会った初恋のチャ・スナをどうやって消してしまったのか、小説に出てくるでしょう? それは個人の悔恨に過ぎませんが、振り返ってみるとかつての時代への記憶と強くつながるのでしょう。

Q.本の最後「作家の言葉」に、あるドキュメンタリーでご覧になったという、全泰壱が焼身自殺した当時の雇用主の話が出てきます。今は老人になったその雇用主の悔恨がこの小説のモチーフになったととらえてもよいでしょうか。

そうです。全泰壱のドキュメンタリーを見ていると、意外なことに当時の全泰壱の雇用主が出てきました。今はすっかり年老いていましたが、大金持ちというのでもなく、平凡なアパートに暮らす中産階級です。これまでの苦労話をし、そうこうしているうちに俯いたかと思うと、「あの頃、私も苦しかったが、彼らがあんなにも苦しんでいたとは思わなかった。もっとよくしてやればよかった」と言いながら涙を見せたのです。彼は全泰壱の焼身自殺を生涯忘れることはできないでしょう。彼らは開発独裁を受け入れ、便乗して豊かになった人なので、「人生なんてそんなものさ」という風に生きてきましたが、誰もがその内面には悔恨や自責の念を抱えているのです。言論の極右化、商業主義、行き過ぎた宗教(プロテスタント)などがイデオロギーとしてそのようなトラウマを今までなだめてきたのでしょう。

 

87体制の弱点が露見しているのに、その時代へと社会構造は退化している…セウォル号事件はその警告

Q.本を読みながら「ネコジャラシ」という単語が出てくると鉛筆で丸をつけました。隠された意味があるに違いないと思ったのです。やはり最後に重要なイメージとして登場しました。けれどもなぜあえてネコジャラシだったのでしょうか。

昨秋、散歩をしながらある家の前を通ったのですが、誰かが頻繁に無断で車を止めるので、面倒になったのか植木鉢が置いてあったんです。そこにネコジャラシが随分育っていて、近づいて見ると真ん中は空洞になっているんです。道端に出しっぱなしで手入れをしていないので、元々そこにあった植物は枯れて、そのまわりにどこからか種が飛んで来て育ったネコジャラシが、まるでわざわざそこだけ水をやったように盛んに茂っていたんです。その時、「これを自分の作品のモチーフにして書かなければ」と思いました。

私がずっと考えていたようなことを、小説の中でチャ・スナもアパートでネコジャラシを見ながら考えます。そして最後の場面でパク・ミヌが街路樹の下のネコジャラシを見て、かつて住んでいた庭の芝生のネコジャラシのことを思い出します。ネコジャラシは私たちが生活の中から追い出してしまったようなものの象徴です。いろいろなイデオロギーの仮面をかぶって私たちのまわりに存在しているのではありませんか。非正規職だとか、再開発地域の立ち退き対象住民だとか、いろいろな名前で私たちの身近にネコジャラシは存在しているのです。

Q.チャ・スナの手紙の最後に「わたしたちはいったい何を間違えてしまったのでしょう。どうして子どもたちをこんなふうにしてしまったのでしょう」という文章が出てきます。作家のメッセージをダイレクトに込めたメッセージのようですが、だからこそお尋ねします。ほんとうに私たちはいったい何をまちがえてしまったのでしょうか。

結局は政治社会的な問題に結びつくでしょう。民主政府10年の間に最も克明に新自由主義が入りこみ、広がっていきました。労働界に対する弾圧は保守政権にも劣りません。政治だけでなく経済、文化など、民主主義はいろいろな分野の中にもあるのです。87年体制は軍部開発独裁勢力と形式的に妥協をしながら生まれました。6月の民主化抗争以後、7、8月労働者大闘争〔1987年7月から9月にかけて韓国各地で発生した労働者による大規模ストライキ闘争〕が起こった時、民主化勢力はみな背を向けました。労働者たちはそのまま崩れてしまいました。二つの勢力が出会うことができず、変革がより深化できませんでした。87年体制の弱点はあちこちで露見しているのに、社会構造はむしろ過去へと退化したのです。そのようなことに対する警告がセウォル号事件のような形となってあらわれているのです。

Q.この作品を読みながら「省察」ということについて深く考えるようになりました。最近の韓国史の教科書国定化問題など、韓国民主主義に対する憂慮の声が高まっていますが、私たちが深刻に考えなければならないまたそれ以外にもなにか別のテーマはあるのでしょうか。

マスコミが2030世代たちに与えた「N放世代」だなんだというレッテルがあるでしょう。こんな言葉自体、屈辱的なものだと思わないといけないはずです。自分たちの世代意識や、時代精神を共有していない者たち同士がその後の時代をリードしていく能力を見せた例はありません。ところが、今の私たちの若い世代たちはあまりにも個人化され過ぎてしまったからなのか、そのような意識が生まれずにいます。言葉は過激で主張も急進的ですが、いつも言葉だけで消費されてしまうのです。これを変えていくような流れがまずは大学において必要なのです。

数年前、韓進重工業の労働者キム・ジンスクがクレーンの上で一年にわたって籠城していた時に、数人の人たちで始めた希望のバスのようなもの**。作家たちも文章を書いたりして参加しました。私はこのようなことがもっと発展しなければならないと思いますし、その流れを若い人たちが作り上げなければならないと思います。そうすれば世代の意識や、時代精神が出てくるのです。「マスコミが無責任につけた『N放世』』のようなレッテルをただ受け入れて生きていくのか」と問いかけたいのです。ところが「そんなことができるのか」という冷ややかな考え方が習慣化されてしまっているのです。

** 韓国初の女性溶接工として韓進重工業に就職したキム・ジンスクが、経営悪化を理由とした生産職400名を対するリストラ決定に抗議し、2011年1月6日から同社内の85号クレーンでの高空籠城に突入。同年11月10日、労使合意により309日間のストライキを終えた。
希望のバスは労働争議に関する集会の参加者を現地に運ぶための交通手段のひとつで、参加費を集め、貸し切りバスに乗って現地に向かう。韓進重工業での立てこもり時にはじめて導入された。

『国際市場で逢いましょう』という映画が流行したことがありましたね。「死に物狂いで生きた」というのがテーマです。「善良な国民神話」です。他人がどんなに悪事を働いても気づかないばかりか、関心もなく生きてきた人々。あの映画には市民がいません。あれは市民ではなく、臣民です。映画を見ながら、メッセージが歪曲されていると感じていました。現在の歴史教科書問題も同じです。「歴史を批判的に見れば敗北主義的な認識を持つようになる」と言いますが、未来をもっと良いものにするためには過去を批判的に見ることも必要なのです。歴史は「何を間違ったのか」ということが「何をうまくやったのか」よりももっと重要なのです。批判的な視線があってこそ、次に同じような過ちを犯さないのではないでしょうか。それを指摘するのが歴史なのです。

Q.「分断時代に立って韓国の近代とそれ以後の世代をつなぐ架け橋になりたい」という夢を表明されたことがあります。やはり「分断克服の文学」というトピックを抜きに黄晳暎先生を考えることはできないと思いますが、ところで最近は分断だ、統一だという物語をちょっと古臭いことのように考えるようです。

古いトピックのようではありますが、しかし、厳然と生き続けているトピックには違いありません。それを古臭いと考えること自体が現実に対する歪曲によるものだと思います。どうであれ、後代の歴史家たちは今現在の文学を「分断時代の文学」だと命名するでしょう。ただ、民族文学に属している民族主義という考えはちょっと困ると思います。私はいつからか、分断問題を東アジアの地域問題として考えています。ところが、政府は分断克服を実践せずにマーケティングにのみ使ってきました。今は70年代の「滅共統一」「吸収統一」時代に戻ってしまっている状況ですが、それでもマーケティングとしては東アジア地域において平和でもって問題を解決しようと言っているでしょう。

実際に、今でも2009年に私が李明博大統領〔当時〕と中央アジアに行ったとかどうだとかいう言葉がついてまわっていますが、その頃、私は少し焦っていました。それは私が訪北してから20年になる年でした。何かやってみなければという思いになっていたようです。東モンゴルを共同開発し、北朝鮮と豆満江開発を一緒にやろう、アルタイ経済文化連合を作ろうということなどを提案しましたが、大統領もそうしようと言うので、私が立ち上がったのです。ところがうまくいきませんでした。その過程で左右両方から随分悪くも言われました。今はもう自分が立ち上がるのはやめて、小説だけ書こうと思っています(笑)。

 

韓国文学の危機は現実から離れて自ら招いたことではないかという思い

Q.2015年の一年間、韓国文学はずいぶん批判されました。韓国文学が危機にあるという心配の声についてどのように考えていますか。

最近『錐』というドラマを見てずいぶん驚きました。『ミセン』もたいへん面白かったですが、『錐』はそれよりももっと根本的でした***。どちらも原作は漫画でしょう。文学がそのような物語を見逃しているとは! これら作品の現実にアプローチする方法を見て本当に驚きました。韓国の若い小説家たちがまさにこの当代の問題に取り組まなければならないのです。そのようなドラマが現実に強くアプローチしながら、共感を引き出している力を見るにつけ、韓国文学の危機は韓国文学が現実から遠ざかりながら自ら招いたことではないのかという気がします。小説ではなくテレビドラマに感動したということが、ベテラン作家としては非常にきまり悪く、恥ずかしいような気がするのです。

***『錐』(2015)は外資系大型スーパーマーケットの支店を舞台にした労働組合活動に関する連続テレビドラマ。『ミセン』(2014)では学歴社会や雇用形態、会社の上下関係年功序列、女性差別、汚職、セクハラ・パワハラなど、現代韓国のサラリーマンの日常が描かれている。

Q.2012年の私どもとのインタビューで「これからは中、短編小説をまた書こうと思う。(中略)青年期にも書いていたが、それに対するなつかしさがあり、芸術活動をしたい。もう少し純粋に小説を書くということだとおっしゃいました。

今回のこの作品(『たそがれ』)がその答えです。芸術活動を久しぶりにしたような気がします。「韓氏年代記」や「客地」〔いずれも『客地 ほか5篇』、高崎宗司訳、岩波書店収〕を書いた頃に戻ったように思います。これからもそのような作品を出し続けるつもりです。

Q.70歳になって再び青年期に返ると宣言し、実際にその時のような気持で書いた作品を出版されました。それならば、80歳になって世に出す作品はどんなものでしょうか、もう気になっています。今後計画していることについてこっそり教えてください。

これから10年後だと、83歳ですね。こつこつ書いても3、4冊ほどでしょうか。これまでに自伝をまとめながら手つかずのままになっているものがあります。最初はやりたくなかったのです。ところが考えてみると、朝鮮戦争とベトナム戦争、80年代の民主化革命と亡命、投獄、このようなことをすべて経験した作家はもう残っていないのです。先輩の世代たちは皆亡くなり、唯一私が残っているようです。だからこれらをまとめて自伝を書かなければと思っています。しかし、ここ(韓国)はまだまだ強い抑圧があります。自伝を書くなら訪北の話や、光州の話をうまく書かなければなりませんね。ここは制約が多すぎるので、全く知らない海外に行って6か月間でまとめて書こうと思います。

私はいつもリアリズムの拡大ということを言いながら形式実験をしています。前半期の文学と後半期の文学には形式的な差が随分あり、分離されています。『バリデギ』〔青柳優子訳、岩波書店〕と『客人』〔鄭敬謨訳、岩波書店〕が過去の「韓氏年代記」や「客地』と分離されているということです。一つは私たちの伝統的な技法の現実認識、もう一つは徹底して西欧的な技法に立脚したリアリズム。これが自然に合わさった様式によって何かを表現しなければと思うのですが、それはまだ出てきていません。それをやり遂げなければならないでしょう。

それから今も迷っているのが随分前から企画している『鉄道員三代』〔未邦訳〕の物語です。昔なら全10巻の大河小説として書かなければなりませんが、2、3冊にまとめて書こうと考えていました。けれども、今回の小説を書きながらまた考えが変わりました。いったん完全に解体してしまってから、よりリアリズムの方へ拡張して、新しい形の新しい小説を書ければいいなと。今の時代の物語を書いてはいますが、そのような形式と内容が互いにうまく溶け合えばよいということです。そのような実験は『客人』から始まったのが『バリデギ』でうまく表現されましたが、『シムチョン』や『見知らぬ世界』ではバランスの悪いところも、今見るとわかります。それをうまく合わせた良い作品を熟練の技で作り出せたらいいなと願っているのです。

Q.最後になにかお話したいことがあればお願いします。

今活動している若い作家たちの中には素晴らしい作家がたくさんいます。世界のどこに出しても引けを取らない技量を持ち、私が好きな作家もたくさんいます。過去に比べ大衆が小説を読みませんよね。本を出しても売れないからいろいろな変化を試みたり、じたばたもがいたりしています。けれど先進国に比べ、環境がそれほど不利なのではありません。ただ、先進国ではいろいろなプロジェクトや支援策があり、若い作家たちを成長させてくれるのですが、私たちももっとそのようなことに取り組み、作家たちが安心して文章を書けるようにしなければならないのです。

 

著者写真:©Kwon Hyouk-jae