『日露戦争の世界史』『閔妃は誰に殺されたのか――見えざる日露戦争の序曲』

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日韓の知性が共にする<知の万華鏡>『韓国・朝鮮の知を読む』(2014年刊行)よりお届けしています

子安宣邦(고야스 노부쿠니)

『日露戦争の世界史』崔文衡(著)、朴菖熙(訳)/藤原書店/ 2004 

『閔妃は誰に殺されたのか――見えざる日露戦争の序曲』崔文衡(著)、金成浩・斉藤 勇夫(訳)/彩流社/ 2004

 私はこの世紀の始めの時期、「閔妃(ミンビ)問題」をめぐって考えていた。だがその時期になって「閔妃問題」を考えてみようとする気になったというのはきわめて遅い。「閔妃暗殺」という日本近代史における暗部、ことに韓国の運命に深くかかわる暗部に直面することの漠然たる恐れが私にあったからである。それは「南京事件」という日本現代史の最暗部に直面することの恐れにも連なるものであった。私が南京を直接訪れ、その現場に立とうとする気になったのは、やっと戦後50年という時期になってである。私が「閔妃問題」に直面するのにはさらに時間を要したのだ。こうした近現代史における日本の暗部に直面することを妨げてきた恐れとは、日本人であることの根底を動揺させられることへの恐れであったかもしれない。あるいはアジアとの問題を隠蔽し続ける戦後日本の惰性が、自分をも支配していたというべきかもしれない。

私は『「アジア」はどう語られてきたか─近代日本のオリエンタリズム』(藤原書店、2003)を構成している諸論文を季刊誌『環』(藤原書店)に連載するころから、アジアを自分の問題として考える視点をもつようになった。こうして戦後半世紀余を経過した時期になって私ははじめて「閔妃問題」を考えようとしたのである。そしてまず角田房子の『閔妃(ミンビ)暗殺――朝鮮王朝末期の国母』(新潮社1988)を古書店の棚から取り出して購入した。私は『閔妃暗殺』を読んでいった。

「閔妃暗殺」事件の周辺を、事件を構成する人物と歴史とを綿密に取材・調査することの上に書かれたこの作品によって、そしてこの作品を構成する作者の語りを通して、たしかに私は「閔妃暗殺」という事件を、その細部を含めて知ったのである。だがそれで私は「閔妃問題」とは何かを認識したか。わかったのは「閔妃暗殺」という事件とそれにかかわった人物たちについてであって、「閔妃問題」がわかったわけでは少しもない。角田房子のこの作品を読んでから私はむしろ「閔妃問題」という〈歴史問題〉をもつことになった。韓国の「閔妃問題」とは日本人の評伝作家が韓国における取材旅行や資料調査、そして文学者の想像力とを頼りに書いてしまった『閔妃暗殺』問題とは違うのではないか。私がそうした疑いをもつようになったったちょうどそのころ、韓国の歴史家崔文衡(チェムンヒョン)氏に私は出会ったのである。

2005年1月、藤原書店創立15周年を記念するシンポジュウム「いま、世界の中で日本外交はどうあるべきか?」が開催された。そこで崔文衡氏の特別講演があることを知った。そのとき私はまだ氏の著書『日露戦争と世界史』を読んでいなかった。だがそのシンポの案内などで氏の日露戦争観に強く引きつけられるものを私は感じた。私がある問題に関心をいだき、それを追いかけ、考え続けているとき、その問題解明にとって決定的と思われる人や本にほとんど運命的に出会うことがある。私の崔文衡氏との出会いもまったくそうだった。

崔文衡氏の講演を聞き、また会場で直接お話しする機会をも得て、私は自分の直感の間違いのないことを確認した。なぜか私は直ぐに以前からの友人のような近さを氏に感じた。私は氏の著書『日露戦争と世界史』と『閔妃は誰に殺されたのか─見える日露戦争の序曲』とを直ちに購入して読んだ。崔氏の日露戦争についての見方は、日本人の死角を衝くような性格をもっている。日露戦争にいたる日本とロシアとの国家間交渉は、そこに当然のこととして清国が介在し、そして背後に英米仏独という諸列強が軍事的にも強い影響力をもって存在するという国際的関係における緊迫した外交的な駆け引きの過程であった。この外交的な駆け引きにあって、取り引き材料になったのが韓国であり、韓国の支配権であったのである。日露戦争とは日本人にとって満州の支配権をめぐる、あるいはその権益の配分をめぐるロシアとの争いと理解され、この戦争の勝利によってロシアの南下を押しとどめた日本の功績がいわれたりする。日本人による日露戦争のこの見方の中に韓国は存在しない。朝鮮半島は日本の日露戦争の遂行にとって軍事的通路のごとくみなされていた。そのかぎり、朝鮮半島がもつ戦略上の意義を日本軍の指導部は十分に認識していたのである。この認識には対ロ戦遂行のための軍事的要衝としての朝鮮半島は存在しても、韓国は存在していない。それは当時の日本軍部の認識においてばかりではなく、日露戦争後百年の現在、その戦争を記述する日本の歴史家・研究者にも存在しない。日露戦争において韓国は日本人にとって存在していない、この日本人の視角における盲点を痛烈に指摘するのが崔文衡氏の『日露戦争の世界史』であるのだ。

崔文衡氏のこの書の韓国版の原題は『国際関係から見た日露戦争と日本の韓国併合』である。『日露戦争の世界史』という日本語版のタイトルを、後にソウルでお会いしたとき氏はしきりに気にしていた。この日本語版の書名によってはこの本に託した著者の意図は伝わらないと氏は感じていたのである。日本語版の「序文」で氏はこう書いている。「韓国は日露戦争開戦と同時に戦場となり、終戦と同時に日本の支配に帰せられた。日露戦争とは 、日清戦争を通じて植民地化の危機に追いつめられていた韓国を、ついに日本の支配下に帰せしめた戦争であった 」(下線は子安)と。日露戦争がもたらす歴史的な帰結とは日本による韓国の併合なのである。その帰結を日本の歴史家たちもたどり、年表上に記しながらも、しかし日露戦争史の記述に朝鮮半島は存在しても、韓国は欠落するのである。だから崔文衡氏は「序文」の上の言葉に付け加えて、「これは厳然とした歴史事実だが、日本の学界では一般にこの部分が、なぜか研究領域からはずされているように見受けられる」というのである。

『日露戦争の世界史』とは、「韓国・満州をつつみこんだアジアの戦争であり、欧米列強が介在し、帝国主義国間の利害が直接、かつ複雑に絡み合った、一つの世界大戦であった」日露戦争を、その結末を国家の従属的併合という悲劇として迎えざるをえなかった韓国という視点を基底にして記述された最初の世界大戦史である。

ところで日露戦争を韓国からの視点で見ることとは、日露戦争を次のような年表として構成して見ることである。私がかつて『日露戦争の世界史』によって作った年表の大筋だけを記してみよう。

1895年10月 日本、閔王妃を殺害(乙未事変)。
1897年12月 ロシア、旅順、大連占領。
1898年3月 日本、ロシアに韓国と満州とを各自の勢力圏にしようとの満韓交換論を提議。
1901年3月 日ロ間に満州問題をめぐって戦争危機。
1903年4月 ロシア満州撤兵を見合わせ、対清七ヶ条要求(清国、全面拒否)。
1903年6月 日本、対露問題に関する御前会議(日露開戦のための最終方針決定)。
1904年2月 日本軍ソウル進入。日本、ロシアに公式に宣戦。
1904年8月 日本、韓国に第一次日韓協約を強圧。
1905年1月 日本軍、旅順占領。東郷、全艦船の大韓海峡集結命令。
1905年1月 日本政府、独島の日本領土編入を閣議決定。
1905年2月 島根県告示で独島を併合。
1905年5月 対馬沖海戦(日本海海戦)。
1905年8月 ポーツマス講和会議。
1905年12月 日本、韓国総督府を設置。初代統監に伊藤博文就任。
1909年9月 日本政府、韓国併合に関する件を閣議決定。
1950年8月 韓国併合に関する日韓条約調印。

実はここに掲げた年表を私は日露戦争史のために作ったのではない。「独島問題」を考えるために作ったのである。崔文衡氏の著書によりながら作った「独島問題」の年表とは日露戦争史の年表にほかならないこと、そしてその年表とは「閔妃暗殺」事件に始まり、日本による「独島領有化」を間にはさみながら「韓国併合」にいたるものであることを教えられたのである。だが日本における「竹島問題」年表は日露戦争史を構成することなく、明治38年(1905)だけが歴史的文脈から切り離され、それだけで存在するのである。「竹島問題」とは日本においてただ「領土問題」である。だが「独島問題」とは韓国にとってただ「領土問題」としてあるのではない。それはまず「歴史問題」なのである。「閔妃暗殺」が「万劫に忘れ難き恥辱」としての歴史的、民族的問題であるように、「独島問題」もまた忘れがたい歴史的、民族的問題なのである。このことは日本と韓国との間に同一の「領土問題」があるのではないことを意味している。韓国にとって「独島問題」があり、日本にとって「竹島問題」があるのである。それは「閔妃問題」についても同様であるはずである。韓国にとっては万劫に忘れ難い「閔妃問題」があり、日本にとっては教科書にもほとんど記述もされない「閔妃問題」がある、いや「閔妃問題」がないのである。日露戦争も、韓国
にとっては自国の存立の否認をもたらした「日露戦争」であり、日本にとっては自国を欧米列強に伍しうる大国たらしめた「日露戦争」であるのだ。日本人にとって必要な歴史認識とは、この距たりをまず知ることである。崔文衡氏の『日露戦争の世界史』はわれわれにこの歴史認識の距たりを、自国の存立を否認されたものの深い悲痛とともに教えてくれる。

 

【子安宣邦】1933年(昭和8)、川崎市に生まれる。昭和一桁世代として戦中・戦後を体験した。東京大学大学院で倫理学・日本倫理思想史を学ぶ。大阪大学文学部教授として日本思想史講座を担当した。定年退職後も思想史家として近代日本の読み直しを進めながら、現代の諸問題に積極的に発言している。また東京・大阪・京都の市民講座で『論語』「歎異抄の近代」『童子問』(仁斎)の講義をしている。著書に『日本近代思想批判』『本居宣長』(岩波現代文庫)『「アジア」はどう語られ
てきたか』『昭和とは何であったか』(藤原書店)『日本ナショナリズムの解読』(白澤社)『国家と祭祀』『「近代の超克」とは何か』『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社)など。

 

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