日韓文学ナイト in 福岡 ウン・ヒギョン×中島京子 トークショー

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日韓文学ナイト in 福岡

ウン・ヒギョン×中島京子

○ 時:11月26日 午後6時30分から
○ 所:福岡の中心地・天神にあるアクロス福岡

福岡で「日韓文学ナイト」が開かれました。

『美しさが僕をさげすむ』(クオン)の作家ウン・ヒギョンさんと、『小さいおうち』で直木賞を受賞した作家中島京子さんが登場し、熱い文学トークを交わしました。

 初対面という2人ですが、開演前の控え室ですっかり打ち解けた様子です。ステージではまず、中島さんがウンさんの邦訳第1冊目の短編集『美しさが僕をさげすむ』を読み、まず「本当に面白かった」と読後の第一印象を語りました。「とても完成度の高い作品集で、独特の軽さとユーモア感覚がある。ちょっと突き放した感じのドライなユーモアが印象的だった」といいます。創作技術についても「登場人物の名前が出てこなくて、人と人との境界がぼやけるように書かれ、ひとつひとつが技巧的に練られている」と評価し、「再読すると、最初に感じたドライさよりも、全編に哀しみがあった。読後感がいろんな感覚を刺激する、すごく楽しく深みのある読書だった」と振り返りました。

 「世代も近いので、同じ頃に同じような歴史の変化を体験したという共通点を感じて、感銘を受けた」と共感を寄せる中島さんに、ウンさんも中島京子さんの『小さいおうち』を読んで「ファンになりました」と告白。「 作品の背景になった時代は、韓国と日本が同じ歴史を共有していた時期でもある。私が母や祖母に聞いてきた(当時の)デティールが美しく描写されていた」と話し、「単純に話が流れていくようで、とても複合的な要素を持った作品。主人公は〈おうち〉ですが、もうひとつの主人公は戦争だと思いました。個人の日常は、巨大なものとは無関係なようで、知らない間に日常が壊されていく恐ろしさについて改めて考えました」と感想を語りました。

個人の生はひとつひとつ大切

 ウンさんには『マイナーリーグ』という長編小説があり、韓国の軍事事政権時代に生きた高校生4人と、40代になったその後を軽妙な筆でつづっています。「時代の暗さをあえて明るく軽く書いたんです。登場人物たちは一見歴史とは関係ない市井の人のように見えるけれど、実は悲しい過去や歴史が個人の暮らしを壊していくということを書きたかった」と話し、「読者の中にはこんなまじめな話をこんなに軽く書いたのか、と批判もあった」と明かします。

中島さんも『小さいおうち』について、「作品を2010年出したとき『暗い戦争の時代と思っていたのに、こんなに明るい生活もあったんですね』と言われて、作家としては『そんなに明るい話ではないけど』と思っていた。その後、日本の状況が動いてしまい、戦争の時代を思わせるような愛国主義的、ナショナリズムの高揚が起こってきたりしていて、人々の読み方が変わってきた。『小さいおうちの時代と、今の日本は似ていますね』、と言われることが多い。私もこの時代のことを知らないで調べて書いたので、とても美しいこともあったけれど、その背後で進行していることの恐ろしさと、進行しているにも関わらず関心を持たない人々が怖いと思い、このことを書きたいと。読まれ方が変わっていることは興味深いこと」と語りました。

 ウンさんは「 個人の生はひとつひとつ大切。個人を尊重し、気づかせることが作家の任務ではないでしょうか」と共感しながら、韓国文学の転換期になった1990年代について紹介しました。「私は95年に主婦から作家になりましたが、80年代までの韓国文学は社会的側面が強く、軍事政権と闘うという使命がありました。90年代に民主化が果たされ、個人の内面に作家の関心が移りながら、それまでのように政治的イデオロギーを扱うことは前の世代が充分にやっていることで、もっと軽く楽しい方式でも充分に小説できると思ったんです」

 中島さんは「ウンさんの軽さが印象的でした」と改めて語ります。「上滑りとか浅さでなく、時代を書くときにまとわりつく重さ、暗さが小説にとって、ちょっとじゃまをするところがあると思う。そこをウンさんはすごく意識的に軽さを選択していると感じられました。軽くすることで伝えられる哀しみがある」としながら、「時代の転換期」について、短編集「美しさが僕をさげすむ」の最後に収録された作品「ユーリィ・ガガーリンの蒼い星」を取り上げました。同作品には、作中小説として「1991年のコスモノート」(コスモノート=COSMONAUT、ロシアの宇宙飛行士のこと)が出てきます。91年といえば、ソ連がロシアになった大変換の年。宇宙飛行士が帰還するとソ連がロシアになっている―という話です。

 「私自身も、そういう時代に20代の後半を過ごしたので、時代が変わってしまう感覚がすごくよく分かった」と中島さんは語り、「一方で、この時代韓国はものすごい変化があったんだよな、と考えた」と続けます。「ウンさんは『1991年のコスモノート』を作品中に書くことで、読書に伝えようとされたのでは。そこにウンさんのオリジナル性を感じ、ただ重く近現代史を語るのでなく、何かハッキリと伝える、哀しみや失ったもの、得たものを伝えようとされている。とても小説的な物の語り方であると思いました」と話し、「これからもっと日本語の翻訳が出版されたら。(未翻訳の)『マイナーリーグ』や、 植民地時代から現代までの家族を3世代にわたって書いた『秘密と嘘』なども読みたいです」とリクエストしました。

そもそも小説家はかなり意地悪じゃないとできない

 共感を深める2人に、司会の翻訳家・吉川凪さんは「まだ出会って2時間なのに、こんなに話が通じあうとは、やはり小説の力はすごい。お二人の共通点は女性であり、作家であること。では、女性らしさを強制されることに抵抗を感じたことは?」と投げかけました。

 ウンさんは「私は女性らしさを強要される前に、自分から女であろうとした」と言います。「小学校1年の通知表に『きわめて女性らしい』と書かれたくらい。小さいころから友だちづきあいが苦手で、本ばかり読んで空想ばかりしていました。私が読んでいた本のイデオロギーが、どうも『女性らしさは得をするというもの』だったらしくて。お姫様が寝ていたら王子がキスをするような童話にずいぶん影響を受けたんですが、自分の娘には読ませませんでした。私みたいな不幸は味合わせたくなかったので」と話し、会場から(共感の?)笑いを誘いました。「私が30代になって克服したかったのは女性らしさ。その前の20代のころは相当なフェミニストでした。世の中をどれだけ歪曲していて見たのかと考え、自分の価値観を変えようと過激でした。そんなふうに両極端に振れて、自分の中でバランスをとれたのは小説を書き始めてから。新聞に連載した小説『マイナーリーグ』は男性の目線で語り、女性はほとんど出てきません。読んだ人から『女に男の何が分かる』とよく言われましたが、私は男の話を書くののは、マイナリティーの中で同質感を感じ始めてから、同じ人間としての憐憫を感じられるようになってから。男女を区別し闘うフェミニストを抜けだしたんです。まずは区別しないことが大切で、いま『フェミニストですか?』と聞かれたら、『はい、そうです、私はヒューマニストです』と言いたい。すべての既定、概念から開放されたいと思います。私は女性作家、90年代作家、韓国作家などでなく、ただ同時代の作家だと思いたい」

 ウンさんの真摯な語りに、中島さんが応えます。「日本ではたまに男女の作家の棚が分かれていることがあり、どうしてかなと思っています。私は見た目が女らしいので(笑)おっとりしているし、実際優しいんですけど優しく見えるし(笑)、女性的な得を持っていると思われる。20代のころは葛藤があったんです。私をとても女性らしくて包み込んでくれると思って近寄ってくる男性に、小説を書いていると分かると、違う者に近寄ったという反応をされることもあって。主張すると、こんなはずじゃなかったとか。見た目と内目にギャップがあるのではないのかと思って、若いときは結構悩みました」。

 「そもそも小説家はかなり意地悪じゃないとできない。私は人に意地悪とかしないし、優しいですが(笑)、でもかなり腹が黒くないと小説が書けない。そこのバランスがとれてきたのは大人になってからです」

 「話しながら共通点がどんどん出てきましたね」とウンさん。「私は『冷笑と毒舌の作家』と言われていて、作品はドライで冷たく、きれいな人は出てこない。幸せな人も出てこないといわれますが、私に実際会った人には結構女性らしい人ですね、と言われる。内面はあなどれのかもしれませんが?作家というのはすべてに疑い深く、気むずかしい人ではあると思いますが、個人的には優しいですよ。親切です(笑)」

 あっという間に終わりの時間に。中島さんは「すごく丁寧に読んで下さって、感激しました」と語り、ウンさんも「中島さんにぜひ評論を書いてもらいたい」とにこやかに応えました。

母国語でないところで生活したこと

 最後の質問コーナーでは、会場から「母国語でないところで生活したことはあるか?」との質問が出ました。

 ウンさんは「作家になる前は主婦で、生活が単調だった」といい、「作家になってからは、なるべく旅行をたくさんするようにしています。最近は何か月、レジデンスプログラムなどで留守にしている期間が長く、夫に復讐していますよね(笑)。最近もアイオワに3カ月、国際創作プログラムで行ってきました。言葉が通じない中で、言語への感覚が鈍くなりました。逆に言語と人間の関係がどういうもので、どんな限界を与え、どんな可能性を与えるのかという感覚に敏感になりました。作家として慣れない人になるのは大事だと思いました」

 中島さんも同じプログラムに5年前に参加したそうです。「明確な意識を持って行ったのではなかったのですが、なぜ私が日本語で書いているのか、という根源的な問いを身にしみて感じました。日本語で読む読者を想定して書いていたこと、読者の想像力にある程度頼っていたことに気づかされました」と振り返りました。

二人が出会う前に、御互いの印象について聞いてみました

<ウン・ヒギョンさんのコメント>
<中島京子さんのコメント>

(文・写真=K-BOOK振興会 福岡支局 平原奈央子)